【センター】
ビル・ラッセル
1934年2月12日生。208cm・98kg。
在籍期間:13シーズン(1956~69年)
成績:963試合、平均15.1点、22.5リバウンド、4.3アシスト
“バスケットボール史上最も偉大なウィナー”。ラッセルの凄さを表現するには、その一言で十分なのかもしれない。カレッジ時代にNCAAトーナメントを連覇し、1956年のメルボルン五輪では金メダルを獲得。NBA入り後も1959~66年にかけて、米スポーツ史上でも前人未到となる8連覇を成し遂げたのをはじめ、13シーズンで実に11度の優勝を経験した。
特にディフェンス面での貢献度は群を抜いており、まだブロックが正式スタッツではなかった時代にゴール下で存在感を誇示し続けた。平均得点、FG成功率(キャリア平均43.0%)などの数字は平凡であるがゆえに、“史上最高の選手”の議論に入ることは少ないが、勝利こそが究極の目標であることを考慮すれば、本来は含まれてしかるべきなのだろう。2009年にはファイナルMVPが「ビル・ラッセル賞」と名付けられたことも、その類稀な功績を象徴している。
文●杉浦大介
ビル・ラッセル
1934年2月12日生。208cm・98kg。
在籍期間:13シーズン(1956~69年)
成績:963試合、平均15.1点、22.5リバウンド、4.3アシスト
“バスケットボール史上最も偉大なウィナー”。ラッセルの凄さを表現するには、その一言で十分なのかもしれない。カレッジ時代にNCAAトーナメントを連覇し、1956年のメルボルン五輪では金メダルを獲得。NBA入り後も1959~66年にかけて、米スポーツ史上でも前人未到となる8連覇を成し遂げたのをはじめ、13シーズンで実に11度の優勝を経験した。
特にディフェンス面での貢献度は群を抜いており、まだブロックが正式スタッツではなかった時代にゴール下で存在感を誇示し続けた。平均得点、FG成功率(キャリア平均43.0%)などの数字は平凡であるがゆえに、“史上最高の選手”の議論に入ることは少ないが、勝利こそが究極の目標であることを考慮すれば、本来は含まれてしかるべきなのだろう。2009年にはファイナルMVPが「ビル・ラッセル賞」と名付けられたことも、その類稀な功績を象徴している。
文●杉浦大介