ところが第7戦当日。リードはニックスのホーム、マディソン・スクエア・ガーデンのファンを勇気づけようと会場に登場し、先発センターとしてコートに立った。そしてチームの最初のフィールドゴールをノーミスで2本沈めたことで、ニックスへ流れを引き寄せたのである。27分間のプレータイムでリードがあげたのはその4得点のみだが、試合に与えた影響は絶大で、ニックスは113-99でレイカーズを下し、フランチャイズ史上初となるNBAチャンピオンの座に就いた。
70年ファイナルで見せた強行出場により、リードのキャリアは10年という短いものとなったものの、平均18.7点、12.9リバウンドという素晴らしい成績を残している。
4.デイビッド・ロビンソン(元スパーズ)
打点の高いミドルレンジジャンパーを幾度となくリングへと突き刺した“提督”は、216㎝・106㎏の体格ながらファーストブレイクで先陣を切る走力も併せ持ち、攻守両面でコート上を支配した。
「ソフトだ」「大舞台に弱い」などと酷評されてきたものの、ロビンソンが歴代屈指のビッグマンだったことは間違いない。新人王を皮切りに、最優秀守備選手賞、シーズンMVPを手にし、1992年(バルセロナ)と96年(アトランタ)にはアメリカ代表としてオリンピックに出場して金メダルを獲得。97年にティム・ダンカンが入団すると、ディフェンシブ・アンカーへと転向し、99、2003年のスパーズ優勝に貢献した。
また、94年2月17日に行われたピストンズ戦では34点、10リバウンド、10アシスト、10ブロックを叩き出し、4つの部門で2桁本数を記録するという“クァドラプルダブル”も達成。これはNBA史上4人しか達成していない金字塔となっている。
5.ビル・ラッセル(元セルティックス)
キャリア13シーズンのうち、史上最多となる11度の優勝を飾った伝説のビッグマン。平均15.1点という数字が示すように、オフェンス面で支配的な選手ではなかったものの、22.5リバウンド、4.3アシストを残し、セルティックスにおいて不可欠なチームプレーヤーとして君臨。
NBA史上最多となる通算17度の優勝回数を誇るセルティックスは「ラスが築き上げたチーム」と言っても過言ではない。平均リバウンド数はチェンバレン(同22.9本)に次ぐ歴代2位で、合計本数でもチェンバレン(2万3924本)に次ぐ2位の2万1620本。この男以上に献身的にチームを支え、勝利をもたらした選手はいないだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
【PHOTO】NBA最強の選手は誰だ?識者8人が選んだ21世紀の「ベストプレーヤートップ10」を厳選ショットで紹介!
70年ファイナルで見せた強行出場により、リードのキャリアは10年という短いものとなったものの、平均18.7点、12.9リバウンドという素晴らしい成績を残している。
4.デイビッド・ロビンソン(元スパーズ)
打点の高いミドルレンジジャンパーを幾度となくリングへと突き刺した“提督”は、216㎝・106㎏の体格ながらファーストブレイクで先陣を切る走力も併せ持ち、攻守両面でコート上を支配した。
「ソフトだ」「大舞台に弱い」などと酷評されてきたものの、ロビンソンが歴代屈指のビッグマンだったことは間違いない。新人王を皮切りに、最優秀守備選手賞、シーズンMVPを手にし、1992年(バルセロナ)と96年(アトランタ)にはアメリカ代表としてオリンピックに出場して金メダルを獲得。97年にティム・ダンカンが入団すると、ディフェンシブ・アンカーへと転向し、99、2003年のスパーズ優勝に貢献した。
また、94年2月17日に行われたピストンズ戦では34点、10リバウンド、10アシスト、10ブロックを叩き出し、4つの部門で2桁本数を記録するという“クァドラプルダブル”も達成。これはNBA史上4人しか達成していない金字塔となっている。
5.ビル・ラッセル(元セルティックス)
キャリア13シーズンのうち、史上最多となる11度の優勝を飾った伝説のビッグマン。平均15.1点という数字が示すように、オフェンス面で支配的な選手ではなかったものの、22.5リバウンド、4.3アシストを残し、セルティックスにおいて不可欠なチームプレーヤーとして君臨。
NBA史上最多となる通算17度の優勝回数を誇るセルティックスは「ラスが築き上げたチーム」と言っても過言ではない。平均リバウンド数はチェンバレン(同22.9本)に次ぐ歴代2位で、合計本数でもチェンバレン(2万3924本)に次ぐ2位の2万1620本。この男以上に献身的にチームを支え、勝利をもたらした選手はいないだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
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