【パワーフォワード】
ケビン・ラブ
1988年9月7日生。203cm・114kg
カレッジ成績:39試合、平均17.5点、10.6リバウンド、1.9アシスト
NBA成績:719試合、平均18.1点、11.1リバウンド、2.4アシスト
大学時代の成績まで考慮すれば、1年しか在学しなかったラブよりも、1967~73年のNCAAトーナメント7連覇時に主力メンバーだったシドニー・ウィックスが上回る。しかしプロでの活躍に限れば、UCLA出身者でラブ以上のパワーフォワードはいない。父スタンもNBA選手で、大学ではウエストブルックの1年後輩。2008年のドラフトでは、ウエストブルックの直後の5位指名を受けた。
ミネソタ・ティンバーウルブズのエースとして、2010-11シーズンにはリバウンド王(平均15.2本)に輝きMIPを受賞。翌2011-12シーズンはリーグ4位の平均26.0点と大暴れし、年間1000リバウンドと3ポイント成功数100本の両方を記録した唯一の選手となっている。
2012年のロンドン五輪では再びウエストブルックと共闘し、チームトップの7.6リバウンドを奪ってアメリカ代表の金メダル獲得に貢献。2014-15シーズンにクリーブランド・キャバリア-ズに移籍してからは個人成績がダウンした代わりに、2016年にチャンピオンリングを手にしている。
【センター】
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
カレッジ成績:88試合、平均26.4点、15.5リバウンド
NBA成績:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
UCLA史上最高のプレーヤーにして、NBAでも5本の指に入る大選手。在学中の名前はルー・アルシンダー。高校時代から全国的に有名で、大学に入っても1年生チームを率いて前年の大学王者である上級生チームを下したかと思えば、公式戦デビューでは56得点を叩き出すなど、数々の伝説を打ち立てている。3年間で88勝2敗、3年連続NCAAトーナメント優勝かつファイナル4MVPに輝き、当然1969年のドラフトでは1位指名を受けバックスに入団した。
防御不能と言われたスカイフックを駆使し、2年目の1971年に得点王とMVPを獲得。さらにチームを優勝に導くと、その直後、現在知られているイスラム教由来の名前に改めている。
1975-76シーズンからロサンゼルス・レイカーズに移籍し、1980年代には“ショータイム”軍団の重鎮として5回の優勝を経歴に追加。1985年に史上最高齢の38歳で、14年ぶりのファイナルMVPに選ばれた。通算6回のMVP、そして3万8387点は、今なお破る者のない大記録である。
ケビン・ラブ
1988年9月7日生。203cm・114kg
カレッジ成績:39試合、平均17.5点、10.6リバウンド、1.9アシスト
NBA成績:719試合、平均18.1点、11.1リバウンド、2.4アシスト
大学時代の成績まで考慮すれば、1年しか在学しなかったラブよりも、1967~73年のNCAAトーナメント7連覇時に主力メンバーだったシドニー・ウィックスが上回る。しかしプロでの活躍に限れば、UCLA出身者でラブ以上のパワーフォワードはいない。父スタンもNBA選手で、大学ではウエストブルックの1年後輩。2008年のドラフトでは、ウエストブルックの直後の5位指名を受けた。
ミネソタ・ティンバーウルブズのエースとして、2010-11シーズンにはリバウンド王(平均15.2本)に輝きMIPを受賞。翌2011-12シーズンはリーグ4位の平均26.0点と大暴れし、年間1000リバウンドと3ポイント成功数100本の両方を記録した唯一の選手となっている。
2012年のロンドン五輪では再びウエストブルックと共闘し、チームトップの7.6リバウンドを奪ってアメリカ代表の金メダル獲得に貢献。2014-15シーズンにクリーブランド・キャバリア-ズに移籍してからは個人成績がダウンした代わりに、2016年にチャンピオンリングを手にしている。
【センター】
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
カレッジ成績:88試合、平均26.4点、15.5リバウンド
NBA成績:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
UCLA史上最高のプレーヤーにして、NBAでも5本の指に入る大選手。在学中の名前はルー・アルシンダー。高校時代から全国的に有名で、大学に入っても1年生チームを率いて前年の大学王者である上級生チームを下したかと思えば、公式戦デビューでは56得点を叩き出すなど、数々の伝説を打ち立てている。3年間で88勝2敗、3年連続NCAAトーナメント優勝かつファイナル4MVPに輝き、当然1969年のドラフトでは1位指名を受けバックスに入団した。
防御不能と言われたスカイフックを駆使し、2年目の1971年に得点王とMVPを獲得。さらにチームを優勝に導くと、その直後、現在知られているイスラム教由来の名前に改めている。
1975-76シーズンからロサンゼルス・レイカーズに移籍し、1980年代には“ショータイム”軍団の重鎮として5回の優勝を経歴に追加。1985年に史上最高齢の38歳で、14年ぶりのファイナルMVPに選ばれた。通算6回のMVP、そして3万8387点は、今なお破る者のない大記録である。