【パワーフォワード】
ジョエル・エンビード
1994年3月16日生。213cm・127kg
カレッジ成績:28試合、平均11.2点、8.1リバウンド、1.4アシスト
NBA成績:255試合、平均24.9点、11.3リバウンド、3.1アシスト
本来のポジションはセンターながら、機動力があってPFとしても起用が可能とあって、チェンバレンと強力なツインタワーを形成させることにした。1年だけ在学した大学では、ビッグ12カンファレンスの最優秀守備選手賞を受賞。同級生のウィギンズとともに14年のドラフトにアーリーエントリーし、3位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団した。
右足の疲労骨折で最初の2年間を全休したのは大誤算で、復帰後も慎重な起用が続いているが、コートに出さえすればその存在感は抜群。デビュー以来5年連続で平均20点以上、18年からは4年連続でオールスターに出場した。
パワーとテクニック、そしてバスケット選手を志すきっかけになったアキーム・オラジュワンを彷彿させる敏捷性を、すべて持ち合わせている。チャールズ・バークレーも「リーグで最もマッチアップが難しい選手」と認めていて、29.2点まで平均得点を伸ばした今季はMVP候補にも名が挙がっている。
【センター】
ウィルト・チェンバレン
1936年8月21日生。216cm・124kg
カレッジ成績:48試合、平均29.9点、18.3リバウンド
NBA成績:1045試合、平均30.1点、22.9リバウンド、4.4アシスト
こと得点能力に関してはマイケル・ジョーダンすら敵わない。チェンバレンはそれほど群を抜いた存在、文字通りバスケットボール界の巨人である。カンザス大での2年間は平均29.9点、18.3リバウンド。名将フォグ・アレンは「他の4人が女学生とガリ勉男子だったとしても、ウィルトさえいれば全国制覇できる」と豪語したが、実際には準優勝どまりだった。
4年生になると大学を中退し、ハーレム・グローブトロッターズで1年プレーしたのち、59年にフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズに入団。平均37.6点、27.0リバウンドの規格外の数字で新人王とMVPをダブル受賞、以後7年連続得点王。62年には1試合100得点と年間50.4点という、今後まず破られないであろう大記録を樹立した。
65年のシクサーズに移籍後はアシストに開墾し、68年には8.6本を記録。キャリアで4度のMVPをはじめ個人としての栄誉は数限りなく手にしたが、ここ一番での勝負強さやチームプレーという点では批判も少なくなく、チームとしての優勝は2回だけだった。
ジョエル・エンビード
1994年3月16日生。213cm・127kg
カレッジ成績:28試合、平均11.2点、8.1リバウンド、1.4アシスト
NBA成績:255試合、平均24.9点、11.3リバウンド、3.1アシスト
本来のポジションはセンターながら、機動力があってPFとしても起用が可能とあって、チェンバレンと強力なツインタワーを形成させることにした。1年だけ在学した大学では、ビッグ12カンファレンスの最優秀守備選手賞を受賞。同級生のウィギンズとともに14年のドラフトにアーリーエントリーし、3位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団した。
右足の疲労骨折で最初の2年間を全休したのは大誤算で、復帰後も慎重な起用が続いているが、コートに出さえすればその存在感は抜群。デビュー以来5年連続で平均20点以上、18年からは4年連続でオールスターに出場した。
パワーとテクニック、そしてバスケット選手を志すきっかけになったアキーム・オラジュワンを彷彿させる敏捷性を、すべて持ち合わせている。チャールズ・バークレーも「リーグで最もマッチアップが難しい選手」と認めていて、29.2点まで平均得点を伸ばした今季はMVP候補にも名が挙がっている。
【センター】
ウィルト・チェンバレン
1936年8月21日生。216cm・124kg
カレッジ成績:48試合、平均29.9点、18.3リバウンド
NBA成績:1045試合、平均30.1点、22.9リバウンド、4.4アシスト
こと得点能力に関してはマイケル・ジョーダンすら敵わない。チェンバレンはそれほど群を抜いた存在、文字通りバスケットボール界の巨人である。カンザス大での2年間は平均29.9点、18.3リバウンド。名将フォグ・アレンは「他の4人が女学生とガリ勉男子だったとしても、ウィルトさえいれば全国制覇できる」と豪語したが、実際には準優勝どまりだった。
4年生になると大学を中退し、ハーレム・グローブトロッターズで1年プレーしたのち、59年にフィラデルフィア(現ゴールデンステイト)・ウォリアーズに入団。平均37.6点、27.0リバウンドの規格外の数字で新人王とMVPをダブル受賞、以後7年連続得点王。62年には1試合100得点と年間50.4点という、今後まず破られないであろう大記録を樹立した。
65年のシクサーズに移籍後はアシストに開墾し、68年には8.6本を記録。キャリアで4度のMVPをはじめ個人としての栄誉は数限りなく手にしたが、ここ一番での勝負強さやチームプレーという点では批判も少なくなく、チームとしての優勝は2回だけだった。
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