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NBA

消えない傷を負ったモスクワ五輪の“幻のアメリカ代表”「スポーツと政治は無関係」の理念が踏みにじられる大会に【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.05

 2日後のフェニックスでの試合にも97-66で勝利すると、シアトルで開催された3戦目は2点差で敗れたものの、ニューヨークでの第4戦は逆に2点差で接戦を制する。NBA選抜とのラストゲームとなったインディアナポリスでの試合、そしてモントリオール五輪メンバーとの最終戦にも勝ち、5勝1敗でシリーズは幕を閉じた。

 6試合で計79得点、平均13.2点を奪ったブルックスが“得点王”、最多アシストは37本を記録したトーマス。ブーイは41リバウンド、14ブロックとペイントエリアで実力を遺憾なく発揮した。

 この12年後、1992年のバルセロナ五輪から、バスケットボールもプロ選手の参加が解禁される。1984年のロサンゼルス五輪に大学生として参加していたマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)やパトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)は“初代ドリームチーム”として2度目のオリンピックを経験した。

 だが、1980年の“幻の代表”たちは誰一人としてメンバー入りできなかった。デトロイト・ピストンズのスター選手になっていたトーマスにはチャンスがあったはずだが、ジョーダンと犬猿の仲だったことが理由で、選考から漏れている。
 
■機会を奪われた選手はいまだ嘆き「今もその傷は癒えていない」

 一方、7月20日に開幕したモスクワでの本大会。入場式のソ連選手団長は、4大会連続出場となる国民的バスケットボール選手のセルゲイ・ベロフが務めた。

 金メダルを争うのは、開催国のソ連と世界選手権優勝国のユーゴスラビアと見られていて、予選ラウンドは両国とも順当に3戦全勝で通過。しかし決勝ラウンド2日目、イタリアが87-85でソ連を破る波乱が起こる。

 この頃のイタリアのセリエAは、NBAのロースターに入れなかった選手たちが最初に目指す海外リーグとして、レベルが非常に高かった。クラブ単位でも何度もヨーロッパ選手権を制するなど、西欧の強豪国には違いなかったが、それでもソ連を倒したのは正真正銘の大金星と言っていい。
 
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