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NBA

「この街のイメージに、自分はピッタリ」東京五輪中にニックスと契約したフランス代表戦士。加入の“決め手”となったのは?<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.10.23

2012年のドラフトでニューヨークを訪れ、1巡目20位でナゲッツに指名。それから9年後にニックスの一員となった。(C)Getty Images

2012年のドラフトでニューヨークを訪れ、1巡目20位でナゲッツに指名。それから9年後にニックスの一員となった。(C)Getty Images

 15歳になる年に、トニー・パーカーらを育てた国立エリート養成所INSEPのテストに合格。同校はエバンにとって縁のある場だ。彼の両親は、INSEPの道場で知り合い、結婚した。

 父は現役引退後もそこでテクニカルスタッフとして勤務していたから、エバンは子どもの頃から出入りしては、後に代表でチームメイトとなるパーカーやボリス・ディーアウの姿も間近で見ていた。

 練習の鬼だった彼は、こっそり体育館の鍵を手に入れては夜中の2時に1人で練習していることもあったが、その姿を見てコーチは「この子は絶対に開花する」と確信したという。

 そしてフォーニエは、通常は3年間のINSEPのコースを1年早めて卒業し、2部リーグに所属するナンテールに入団するという、同校のバスケ部創立以来、過去に一人しか前例がない掟破りをやってのけた。ちなみにその過去の一人は、パーカーだ。
 
 フォーニエは、10歳の時に両親に「自分は将来NBAでプレーする」と宣言し、「それまでに、INSEPで2年、ProB(フランスのプロリーグ2部)で1年、ProA(同トップリーグ)で2年経験を積む」という計画を立てていた。そしてそれを有言実行すると、2012年のドラフトでデンバー・ナゲッツから晴れて1巡目20位で指名を受け、目標通りNBAへと足を踏み入れたのだった。

 その時に初めて訪れたニューヨーク、そしてマディソン・スクエアガーデンに、彼は9年後、ニックスのプレーヤーとして戻ってきた。

「野心的で、タフで、責任を背負うことを恐れない、というこの街のイメージに、自分はピッタリだと思う」と彼は言う。

「ここでは、駄目なプレーをしたら終わりだ。でもそのプレッシャーを感じたい。自分は負けず嫌いなんでね」

 10月29日に29歳を迎えるフランス代表戦士は、ニックス再生の旗手の一人となれるか。

文●小川由紀子
 
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