【センター】
アキーム・オラジュワン
1963年1月21日生。213cm・116kg
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト、1.75スティール、3.09ブロック
主な賞歴:MVP、最優秀守備選手賞(2回)、リバウンド王(2回)、ブロック王(3回)、オールNBAチーム(12回)、オールディフェンシブチーム(9回)
攻守両面でトップクラスだったセンターとしては、通算得点1位でありオールディフェンシブチーム11回選出のカリーム・アブドゥル・ジャバーも捨てがたい。しかし守備面でのインパクトの強さはオラジュワンのほうが上だろう。
とりわけ88-89シーズンには213スティール、282ブロックでリーグ史上唯一の200-200を達成。通算3830ブロックは史上1位、2162スティールも9位であり、センターでは2番目に多いデイビッド・ロビンソンを774本も上回っている。
もちろん攻撃力も最強レベル。その巨体からは想像もつかないほど俊敏なフットワークは“ドリーム・シェイク”と呼ばれ、マッチアップするセンターたちを翻弄した。ルーキーシーズンから13年連続平均20点以上、95年のポストシーズンでは平均33.0点の大暴れで、2年連続のファイナルMVPにも選ばれた。ヒューストン・ロケッツ時代のチームメイト、ロバート・オリーはこのように言っている。「マイケル・ジョーダンが恐れた唯一の男、それがオラジュワンだ」。
【シックスマン】
ジョン・ハブリチェック
1940年4月8日生(2019年4月15日没)。196cm・92kg
キャリアスタッツ:1270試合、平均20.8点、6.3リバウンド、4.8アシスト
主な賞歴:オールNBAチーム(11回)、オールディフェンシブチーム(8回)
コビー、ダンカン、ジャバーら各ポジションで外した好選手を選んでもいいけれども、最も初期の代表的なシックスマンとして、セルティックスの黄金時代を支えたハブリチェックをピックアップした。
62年に入団後、最初の7年間は主にベンチ出場でありながらプレータイムは先発メンバー並み。「彼ほどコンディションを常に万全にしていた選手はいない」(ヘッドコーチのレッド・アワーバック)というプロ意識の高さで、先発定着後の71・72年には2年続けて平均45分以上出場、71年はリーグ2位の28.9点を稼いだ。
バスケットボールIQの塊で、それが最も発揮されたのが65年のカンファレンス決勝(当時はディビジョン決勝)第7戦。1点リードの最終盤、相手チームのインバウンズパスを掠め取り、ファイナル進出を決定づけたスティールはNBA史上最高の名場面のひとつである。オールディフェンシブチームには計8回選出。69年から制定された同賞が若手の頃から存在していたら、あと数回は確実に選ばれていたはずだ。
文●出野哲也
アキーム・オラジュワン
1963年1月21日生。213cm・116kg
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト、1.75スティール、3.09ブロック
主な賞歴:MVP、最優秀守備選手賞(2回)、リバウンド王(2回)、ブロック王(3回)、オールNBAチーム(12回)、オールディフェンシブチーム(9回)
攻守両面でトップクラスだったセンターとしては、通算得点1位でありオールディフェンシブチーム11回選出のカリーム・アブドゥル・ジャバーも捨てがたい。しかし守備面でのインパクトの強さはオラジュワンのほうが上だろう。
とりわけ88-89シーズンには213スティール、282ブロックでリーグ史上唯一の200-200を達成。通算3830ブロックは史上1位、2162スティールも9位であり、センターでは2番目に多いデイビッド・ロビンソンを774本も上回っている。
もちろん攻撃力も最強レベル。その巨体からは想像もつかないほど俊敏なフットワークは“ドリーム・シェイク”と呼ばれ、マッチアップするセンターたちを翻弄した。ルーキーシーズンから13年連続平均20点以上、95年のポストシーズンでは平均33.0点の大暴れで、2年連続のファイナルMVPにも選ばれた。ヒューストン・ロケッツ時代のチームメイト、ロバート・オリーはこのように言っている。「マイケル・ジョーダンが恐れた唯一の男、それがオラジュワンだ」。
【シックスマン】
ジョン・ハブリチェック
1940年4月8日生(2019年4月15日没)。196cm・92kg
キャリアスタッツ:1270試合、平均20.8点、6.3リバウンド、4.8アシスト
主な賞歴:オールNBAチーム(11回)、オールディフェンシブチーム(8回)
コビー、ダンカン、ジャバーら各ポジションで外した好選手を選んでもいいけれども、最も初期の代表的なシックスマンとして、セルティックスの黄金時代を支えたハブリチェックをピックアップした。
62年に入団後、最初の7年間は主にベンチ出場でありながらプレータイムは先発メンバー並み。「彼ほどコンディションを常に万全にしていた選手はいない」(ヘッドコーチのレッド・アワーバック)というプロ意識の高さで、先発定着後の71・72年には2年続けて平均45分以上出場、71年はリーグ2位の28.9点を稼いだ。
バスケットボールIQの塊で、それが最も発揮されたのが65年のカンファレンス決勝(当時はディビジョン決勝)第7戦。1点リードの最終盤、相手チームのインバウンズパスを掠め取り、ファイナル進出を決定づけたスティールはNBA史上最高の名場面のひとつである。オールディフェンシブチームには計8回選出。69年から制定された同賞が若手の頃から存在していたら、あと数回は確実に選ばれていたはずだ。
文●出野哲也
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