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NBA

スパーズを常勝軍団へと導いた最強ビッグマン、ティム・ダンカン指名をめぐるドラフト裏話【NBAドラフト史|1997年】

大井成義

2019.12.26

3位指名のビラップスは1年目途中でラプターズへ移籍。キャリア序盤は不遇だったが、後にNBAを代表するPGへと成長した。(C)Getty Images

3位指名のビラップスは1年目途中でラプターズへ移籍。キャリア序盤は不遇だったが、後にNBAを代表するPGへと成長した。(C)Getty Images

「ロッタリーが続くなか、我々の名前がなかなか読み上げられず、私は飲み食いする手を止めたんだ。そして、スパーズがNo.1ピックを獲得したと知った瞬間、ハンバーガーとビールを手から落として、思わず『オーマイガッ』と口走ったよ」

 1位指名権はスパーズの手に渡り、2位はシクサーズに。セルティックスはこれ以上ないチャンスをモノにできず、3位と6位の獲得に終わった。

 翌シーズンからシクサーズのHCに就任することが決まっていたラリー・ブラウンは、その日、ロサンゼルス郊外でゴルフに興じていた。ロッタリーの行方は、コースに併設されたプロショップのテレビで、大勢のキャディーやコースの会員、ショップで働く人たちが歓声を上げるなか、一緒に見守った。

「最後の2チームに我々とサンアント二オが残った時、心の中で思ったよ。頭を悩ます必要はない、もし我々が勝てば、それは素晴らしいこと。もしサンアント二オが勝てば、ポップ(ポポビッチ)にとって素晴らしいことだ。彼は私の結婚式で新郎の付添人を務めてくれた友人でもある。そして結果が発表された。私はこう思ったよ。『ポップ、それでもお前のことは好きだけど、それにしてもなんたる失望感だ』ってね」
 
 セルティックスのHCを解任された後、カーには事業開発部ディレクターの職が与えられた。チームの代表としてロッタリーに参加した彼の元に、イベント終了直後、ピティーノから電話がかかってきた。要件は、「スパーズが獲得した1位指名権と、セルティックスの3位と6位の指名権を交換できないか、ポップに聞いてみてくれ。彼は親切な男だから」というものだった。カーはこう言い返したという。

「『本当にそれを聞くのか? そんなリクエストをしてみる必要があるのかどうか、想像もできないのか? 将来の指名権すべてを譲渡すると言っても、ポップはたぶん要請を受け入れないだろう』とね。でも私は雇われ人だ。最後には要件を聞き入れたよ」

■ダンカンを逃しただけでなく失策が続いたセルティックス

 6月25日、ノースカロライナ州シャーロットで1997年NBAドラフトは開催された。スパーズはダンカンを1位で指名。ウェイクフォレスト大のあるウィンストン・セーラムはシャーロットに比較的近いこともあり、ダンカンの名前が読み上げられると、会場に詰めかけた地元ファンから大きな歓声が上がった。

 2位のシクサーズはユタ大4年のキース・ヴァン・ホーンを指名。セルティックスは3位でコロラド大2年のチャンシー・ビラップスを、6位でケンタッキー大2年のロン・マーサーをそれぞれ指名した。そのビラップスは翌年2月に、マーサーは2年後にトレードでチームから放出されることになる。
 

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