さらにピティーノは、この年のドラフト組でダンカンに次ぐ出世頭となったマウントジオン・クリスチャン・アカデミー高のトレイシー・マッグレディを、2度に渡ってパスした。ケンタッキー大のHC時代にマッグレディをリクルートしていたにもかかわらず、である。マッグレディは9位でラブターズに指名され、後にリーグを代表するスウィングマンへと成長する。
セルティックスとピティーノにとって、この年のドラフトは渇望していたダンカンを獲得できなかっただけではなく、打つ手打つ手が裏目に出た。その後もビティーノは結果を出せず、3年半後に辞任の憂き目にあっている。鳴り物入りでやってきたピティーノの、セルティックスでの通算勝率は、わずか41%(102勝146敗)だった。
それから19年が経った2016年7月11日、ダンカンの引退がチームからあっさりと発表される。いかにも彼らしいのは、引退に際し、記者会見はおろか本人のコメントすらなかったことだ。スター選手ながら、一貫して地味な長袖シャツやポロシャツとジーンズを好んで着用していたのと同様に、最後までまったく飾らず、派手なことを嫌い、徹底してマイペースな、不思議と愛すべき男だった。
ダンカン、マッグレディ、ビラップス以外、リーグに確固たる足跡を残した選手が見当たらない1997年組は、“不作ドラフト年ランキング”的な企画で上位に選ばれることも多い。オールスターに選ばれたのは上記の3人のみ、その人数は史上最大のハズレ年とされる2000年(1位ケニョン・マーティン)と同数で、1970年代から2000年代までの40年間では最少だ。印象に残る選手の数も、実に少ない。
それでも、ティム・ダンカンという歴代最高のパワーフォワードを輩出したという一点だけで、1997年のドラフトはNBA史に深く刻まれてしかるべきだろう。
最後に、前出の『ボストン・グローブ』の記事から、興味深かったコメントを抜き出して紹介したい。1位指名権をすんでのところで逃したシクサーズの新HC、ブラウンの回想録である。
「想像してみてくれ。(もし1位指名権を獲得していたら)シクサーズのHCとして参加する練習の初日、アレン・アイバーソンとティム・ダンカンがそこにいるんだぜ?」
これは思いがけない話だった。あの時、ほんの少し風向きが変わり、シクサーズに1位指名権が転がり込んでいたら、アイバーソン&ダンカンという世紀のデュオが誕生していたのだ。常にマイペースで相手に迎合することのないダンカンだったら、わがままなアイバーソンと衝突することもなく、上手く折り合いをつけながら共存できていたような気がする。
人間性もプレースタイルも両極端な2人は、果たしてどんなコンビネーションを見せていただろうか。シャック&コビーとしのぎを削り、もしかしたら一大王朝を築いていたかもしれない。そんなことを想像していると、時間があっという間に過ぎてしまう。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2016年12月号掲載原稿に加筆・修正。
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セルティックスとピティーノにとって、この年のドラフトは渇望していたダンカンを獲得できなかっただけではなく、打つ手打つ手が裏目に出た。その後もビティーノは結果を出せず、3年半後に辞任の憂き目にあっている。鳴り物入りでやってきたピティーノの、セルティックスでの通算勝率は、わずか41%(102勝146敗)だった。
それから19年が経った2016年7月11日、ダンカンの引退がチームからあっさりと発表される。いかにも彼らしいのは、引退に際し、記者会見はおろか本人のコメントすらなかったことだ。スター選手ながら、一貫して地味な長袖シャツやポロシャツとジーンズを好んで着用していたのと同様に、最後までまったく飾らず、派手なことを嫌い、徹底してマイペースな、不思議と愛すべき男だった。
ダンカン、マッグレディ、ビラップス以外、リーグに確固たる足跡を残した選手が見当たらない1997年組は、“不作ドラフト年ランキング”的な企画で上位に選ばれることも多い。オールスターに選ばれたのは上記の3人のみ、その人数は史上最大のハズレ年とされる2000年(1位ケニョン・マーティン)と同数で、1970年代から2000年代までの40年間では最少だ。印象に残る選手の数も、実に少ない。
それでも、ティム・ダンカンという歴代最高のパワーフォワードを輩出したという一点だけで、1997年のドラフトはNBA史に深く刻まれてしかるべきだろう。
最後に、前出の『ボストン・グローブ』の記事から、興味深かったコメントを抜き出して紹介したい。1位指名権をすんでのところで逃したシクサーズの新HC、ブラウンの回想録である。
「想像してみてくれ。(もし1位指名権を獲得していたら)シクサーズのHCとして参加する練習の初日、アレン・アイバーソンとティム・ダンカンがそこにいるんだぜ?」
これは思いがけない話だった。あの時、ほんの少し風向きが変わり、シクサーズに1位指名権が転がり込んでいたら、アイバーソン&ダンカンという世紀のデュオが誕生していたのだ。常にマイペースで相手に迎合することのないダンカンだったら、わがままなアイバーソンと衝突することもなく、上手く折り合いをつけながら共存できていたような気がする。
人間性もプレースタイルも両極端な2人は、果たしてどんなコンビネーションを見せていただろうか。シャック&コビーとしのぎを削り、もしかしたら一大王朝を築いていたかもしれない。そんなことを想像していると、時間があっという間に過ぎてしまう。
文●大井成義
※『ダンクシュート』2016年12月号掲載原稿に加筆・修正。
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