■92年のドリームチームの存在がリーグのグローバル化に繋がる
それでも、90年代には新たな勢力が続々と台頭。92年にシャックことシャキール・オニールがマジックでデビューし、3年目にしてファイナル進出という快進撃を見せる。もっとも、そのシャックも本格化するのは2000年代に入ってから。“ジョーダンの後継者候補”と呼ばれたアンファニー・ハーダウェイ(元マジックほか)やグラント・ヒル(元ピストンズほか)といったオールラウンダーも確かな輝きを放ったが、両者ともケガに泣かされ、徐々に影が薄くなっていった。
99年1月、ジョーダンは再び引退。コート内外の功績は群を抜いており、NBAのみならず、ジョーダンこそがアメリカが生んだ史上最高のスポーツヒーローとみなす声も多い。この英雄がリーグを去ると、同年のファイナルではティム・ダンカン、デイビッド・ロビンソンのツインタワー擁するサンアントニオ・スパーズが初優勝。さらに00年にはシャック、コビー・ブライアントのコンビでレイカーズが頂点に立ち、リーグは群雄割拠の時代を迎えることになる。
最後になるが、90年代のNBAを語る際、92年のバルセロナ五輪に出場した“ドリームチーム”の存在を忘れてはならない。88年のソウル五輪、90年の世界選手権(現FIBAワールドカップ)に学生中心のチームで臨んで敗れたアメリカは、プロ選手の出場が解禁されたバルセロナ五輪にNBAのスター軍団を送り込むことを決断。ジョーダン、マジック、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)、バークレー、ユーイング、マローン、ピッペン、ロビンソンといった錚々たるメンバーが一堂に会し、文字通り夢のチームができあがった。
五輪の舞台に登場したアメリカ代表は、8試合で平均得失点差44.0点という圧巻の強さで当然のように金メダル獲得。ゲームは二の次で、試合中に相手選手がアメリカの選手たちにサイン、写真撮影をねだるという前代未聞の光景が見られた。
それでも、90年代には新たな勢力が続々と台頭。92年にシャックことシャキール・オニールがマジックでデビューし、3年目にしてファイナル進出という快進撃を見せる。もっとも、そのシャックも本格化するのは2000年代に入ってから。“ジョーダンの後継者候補”と呼ばれたアンファニー・ハーダウェイ(元マジックほか)やグラント・ヒル(元ピストンズほか)といったオールラウンダーも確かな輝きを放ったが、両者ともケガに泣かされ、徐々に影が薄くなっていった。
99年1月、ジョーダンは再び引退。コート内外の功績は群を抜いており、NBAのみならず、ジョーダンこそがアメリカが生んだ史上最高のスポーツヒーローとみなす声も多い。この英雄がリーグを去ると、同年のファイナルではティム・ダンカン、デイビッド・ロビンソンのツインタワー擁するサンアントニオ・スパーズが初優勝。さらに00年にはシャック、コビー・ブライアントのコンビでレイカーズが頂点に立ち、リーグは群雄割拠の時代を迎えることになる。
最後になるが、90年代のNBAを語る際、92年のバルセロナ五輪に出場した“ドリームチーム”の存在を忘れてはならない。88年のソウル五輪、90年の世界選手権(現FIBAワールドカップ)に学生中心のチームで臨んで敗れたアメリカは、プロ選手の出場が解禁されたバルセロナ五輪にNBAのスター軍団を送り込むことを決断。ジョーダン、マジック、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)、バークレー、ユーイング、マローン、ピッペン、ロビンソンといった錚々たるメンバーが一堂に会し、文字通り夢のチームができあがった。
五輪の舞台に登場したアメリカ代表は、8試合で平均得失点差44.0点という圧巻の強さで当然のように金メダル獲得。ゲームは二の次で、試合中に相手選手がアメリカの選手たちにサイン、写真撮影をねだるという前代未聞の光景が見られた。
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