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NBA

【NBAスター悲話】ショーン・ケンプ――酒とドラッグで凋落した永遠のマンチャイルド【後編】

大井成義

2020.01.24

 ケンプの度を越した発言や、目に余る身勝手な行動に手を焼いたフロントは、とうとうトレードに踏み切る。1997年9月、バックス、キャバリアーズを絡めた三角トレードが成立。ケンプ、ヴィン・ベイカー、テレル・ブランドンという3人のオールスター選手が動くというブロックバスタートレードにより、ケンプは新天地クリーブランドへと旅立った。キャブズでは念願だった7年1億700万ドルという高額の延長契約を手にし、ソニックス時代と遜色のない成績を残してみせた。

 だが、コートを離れたところで新たなスキャンダルが噴出する。1998年5月4日発売の『スポーツイラストレイテッド』誌が“Where’s Daddy?”と題してプロアスリートの私生児問題を特集し、各方面に大きな衝撃を与えた。そのストーリーの中で、ケンプには6人の女性との間に7人の私生児がいると暴露される。私生活におけるケンプのマンチャイルドぶりは、まったく常軌を逸するものだった。

 その後、ケンプの転落は加速度を増していった。ロックアウトで開幕が遅れた1998-99シーズン、ケンプは丸々と太ってコートに姿を現わした。当時は23㎏の体重増加と公表されているが、後にキャブズのGMウェイン・エンブリーが自叙伝で明かした話によると、実際は39㎏増の143㎏だったという。それでもキャリア最高となる平均20.5点をマークしてなんとか面目を保ったが、ラグジュアリータックス制度の導入により、ケンプの高額なサラリーがチームにとって重荷となり始めていた。
 
 キャブズでの1年目こそ辛うじてプレーオフ進出を果たしたものの、2年目はディビジョン5位、3年目は7位と、サラリーに見合った働きをしていないと判断したフロントは、3シーズンで見切りをつけトレードを画策。獲得に乗り出したのは、タイトル奪取と打倒レイカーズに執念を燃やし、カネに糸目をつけずスター軍団を作り上げようとしていたブレイザーズだった。

 2000-01シーズン、ケンプは主に控え選手として68試合に出場したが、ルーキーイヤーのレベルまで成績は大幅にダウン。また、ケンプはこの頃、コカインにどっぷりと浸かっていた。2001年4月、コカイン中毒から抜け出すため薬物乱用更生プログラムを受け、シーズン最後の8試合を欠場。それでも彼はドラッグの泥沼から抜け出すことができず、翌年2月にリーグの薬物更生プログラムに違反したかどで5試合の出場停止を言い渡される。サラリーもカットされ、1試合につき14万ドル(約1500万円)をみすみす失った。

 2001-02シーズン終了後、体重はますます増え、復調はおろか更生の兆しすらまったく見られないケンプをブレイザーズは解雇した。ケンプは球団側が提示した2000万ドルのバイアウト(契約買収)を受け入れ、2002年9月にマジックと最低年俸の103万ドルで1年契約を結ぶ。
 

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