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NBA

自称“ギリシャのマッグレディ”バシリス・スパノーリス。欧州トップ選手がNBAで味わった挫折と苦悩とは

小川由紀子

2020.06.22

 それでもスパノーリスは、自分という選手を知った上で契約したのであれば、なぜそれを発揮させずに違う型にはめようとするのか、理解できずに悶々としていた。「実力を発揮させてくれない」、「発揮させてやりたくなるようなパフォーマンスを見せてもらっていない」という水掛け論は収束をみないまま、結局スパノーリスは、わずか1年でロケッツを去ることを決めたのだった。

 時間をかけて育てていくつもりで3年契約を結んだキャロル・ドーソン・ゼネラルマネージャーは、ホセ・カルデロン(元トロント・ラプターズほか)やダーク・ノビツキー(元マーベリックス)でさえ初年度は順応に苦労したことを例に挙げ、「サインした選手は大切に育てたい。残ってほしい」と説得。ヴァン・ガンディHCの後任となったリック・アデルマンも残留を希望した。
 
 しかしスパノーリスの代理人は、「最初はコーチとの確執が問題だったが、それだけでなく、アメリカのライフスタイルにも馴染めなかった」とコメント。シーズンオフにはスパノーリスの能力をよく知る盟友トニー・パーカーの助言で、グレッグ・ポポビッチがサンアントニオ・スパーズへの引き抜きを画策するも、スパノーリスはパナシナイコス復帰の意思を覆さなかった。

 欧州復帰後は水を得た魚のごとく、パナシナイコスで1度、宿敵オリンピアコスに移籍してからも2度、計3度ユーロリーグ制覇を達成。そのすべてでファイナル4MVPにも選出された。

 スパノーリスをライバルのオリンピアコスに譲り渡したのは“クラブ史上最大の失態”だったと語るパナシナイコスのマノス・パパドポウロス会長は、「スパノーリスなしでは、いくら大金を積もうとオリンピアコスはユーロリーグに優勝できなかっただろう」と恨み節を吐いたが、それは事実だと言えるほど、彼の影響力は絶大だった。

「NBAでプレーすることは子どもの頃からの夢だったから、実現できただけでも自分は幸運だった。ものすごく良い経験だったよ。だからまったく後悔はしていないし、行ってよかったと思っている」

 そう語ったスパノーリスにとって、NBA挑戦も今では良き思い出だ。
 

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