02年にヒューストン・ロケッツからドラフト1位指名を受けた中国出身のヤオ・ミンは、1年目から主力として活躍。平均点20点以上が3シーズン、オールスター選出が8度といった実績以上に、バスケットボール後進地域と見られていたアジアのパイオニアになった意味は計り知れない。
彼のおかげで東洋人に対する偏見は完全に薄れ、04年には田臥勇太がサンズの一員として日本人初のNBAプレーヤーに。07年にはイー・ジェンリェンもドラフト1巡目6位という高順位でミルウォーキー・バックスに指名されるなど、リーグのグローバル化の波はアジアにまで吹き荒れていくことになる。
文●杉浦大介
※『ダンクシュート』2016年11月号より転載
彼のおかげで東洋人に対する偏見は完全に薄れ、04年には田臥勇太がサンズの一員として日本人初のNBAプレーヤーに。07年にはイー・ジェンリェンもドラフト1巡目6位という高順位でミルウォーキー・バックスに指名されるなど、リーグのグローバル化の波はアジアにまで吹き荒れていくことになる。
文●杉浦大介
※『ダンクシュート』2016年11月号より転載
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