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NBA

【NBAスター悲話】モックムード・アブドゥル・ラウーフ――病気と宗教に翻弄された男の波瀾万丈のキャリア【後編】

大井成義

2020.01.21

 迎えた1998-99シーズン、ラウーフの姿はNBAになかった。契約が切れた彼を迎え入れるチームはなく、海を渡りトルコのプロチームと2年契約を結ぶ。だが、コーチとの衝突や金銭面でのトラブルが原因で、5試合後にはチームを離れてしまう。

 アメリカに舞い戻ったラウーフは、故郷ガルフポートに“真実の家”という名のイスラム教団体を設立。その後2年間でボールに触ったのはたったの数回、それもほんのお遊びの程度だった。そのうちの1回が、2000年5月に地元で開催されたチャリティ・バスケットボール大会。つい最近までカレッジでならしていた若手選手を相手に29得点をマークすると、親友のアブドゥル・ラヒームがグリズリーズにその様子を報告。興味を持ったフロントは、ベテラン最低年俸の80万ドルで契約をオファーし、2年ぶりのNBA復帰が決まったのだった。

 しかし、ラウーフはグリズリーズでも出場機会をもらえず燻り続け、1シーズンで解雇。その後も現役にこだわった彼は、文字通り世界中のプロリーグを渡り歩いた。ロシア、イタリア、ギリシャ、サウジアラビア、そして日本(京都ハンナリーズ、2009-11)。
 
 2009年に『Bleacher Report』がラウーフのストーリーを掲載しており、ライターは最後をこう結んでいる。「今でも、彼はそれ(トゥレット症候群)から逃れることはできず、完璧だと感じるまでバスケットボールをやめることはないと確信している。そして、私は彼のプレーと生き様の目撃者でいられることを幸運だと思っている」。

 完璧さを得るまで物事を止めることができない、やるせない神経の病。それが原因で、あらゆることに対して徹底的に取り組み、完璧さを追求しすぎたあまり、彼は手に入れた多くのものを失ってしまう。それもまた彼の人生ではあるが、もうほんの少し妥協し、器用に立ち回れていたら、もっと違った人生があったかと思うと、どこか切ない気持ちになってしまう。

 だがそのおかげで、ラウーフのシューティング能力は極限まで高められた。彼が残したキャリア平均のフリースロー成功率90.525%は、その象徴とも言える数字である。2020年1月現在の歴代1位は、ステフィン・カリーの90.529%。ラウーフはリーグが規定する最低試投数1200本に39本足りないものの、もう1シーズン多くプレーしていたら、現在彼がトップに立っていてもおかしくなかった。
 
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