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NBA

確率わずか1.7%――気まぐれなロッタリーがブルズにもたらした「奇跡」と「別れ」【NBAドラフト史:2008年】

大井成義

2019.12.11

2位指名のビーズリーは能力こそ高かったが素行に問題がありジャーニーマン化。現在は無所属の状態となっている。(C)Getty Images

2位指名のビーズリーは能力こそ高かったが素行に問題がありジャーニーマン化。現在は無所属の状態となっている。(C)Getty Images

 インタビュアーのバークから、「ローズとビーズリー、どちらを獲る?」と聞かれたシャンウォルドは、「それはジョン・パクソンが決めるよ。ブルズファンの皆さん、素晴らしい選手がチームに加わります。ひとつだけ言いたいのは、312-455-4000で電話オペレーターが、あなたのシーズンチケットオーダーのためにスタンバイしています」と語り、会場の笑いを誘った。

 ロッタリー中継番組終了後、バイブに設定していたシャンウォルドの携帯は、ひっきりなしに入ってくる電話やメールで震えっぱなしだった。最初に出た電話の相手はパクソン。彼の第一声は、「ハロー、スタン」だった。

 フェイバーは、このロッタリーに関する資料をすべて保存している。一番のお気に入りは、ローズがくれたメッセージ付きのサイン入りジャージーだ。書かれたメッセージは、“Thanks for playing the lottery.”

 それから8年。若きフランチャイズプレーヤーとしてシカゴに夢と興奮をもたらしたローズは、2016年6月、紆余曲折を経てチームを離れることになった。翌月、入れ替わるようにブルズに入ってきたのが、8年前ヒートの代表としてシャンウォルドと一緒にロッタリー会場のセンターステージに立っていた、地元シカゴ出身のウェイド。そして、ウルブズの代表として参加していたホイバーグも、2015年6月から3シーズン半に渡り、ブルズのヘッドコーチを務めている。
 
 つまりあの時、2008年NBAドラフトロッタリーのスタジオセットで、センターステージに立ってローズの1位指名権を争っていた2人が、8年の時を経て同じフランチャイズで仲間となったのである。それらの偶然も、事実は小説よりも奇なり、であろう。

 ブルズに奇跡の1位をもたらし、一躍時の人となったフェイバーだったが、実はあのロッタリーは彼にとってブルズ最後の仕事だった。ロッタリーの数週間後にブルズを離れ、NHLシカゴ・ブラックホークスの広報の仕事に就き、現在はNFLシカゴ・ベアーズのコミュニケーション部門副社長を務めている。

 ブルズ黄金期を陰で支えたシャンウッドは、フランチャイズ最長記録となる28年間の勤続を経て、2015年に勇退した。そしてローズ、ウェイド、ホイバーグは言わずもがな。2008年NBAドラフトロッタリーからの流れで、ローズを中心に絡まりあった糸はすっかりほどけ、今はブルズに誰ひとりとして残っていない。わずか11年前の出来事である。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2016年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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