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海外サッカー

“爆撃機”ゲルト・ミュラーの訃報に戦友、バイエルンの後輩、サッカーの神様、そしてメッシも哀悼の意を示す

THE DIGEST編集部

2021.08.16

あらゆるタイトルを獲得したミュラー。その得点能力は、驚異と言うほかない。(C)Getty Images

あらゆるタイトルを獲得したミュラー。その得点能力は、驚異と言うほかない。(C)Getty Images

 サッカー史上最高のストライカーといわれ、バイエルンと旧・西ドイツで全てのタイトルを獲り尽くすとともに、数々の記録を樹立した「デア・ボンバー(爆撃機)」ゲルト・ミュラーが、8月15日の朝に75歳でこの世を去ったことを、バイエルンが発表した。

 ミュラーは2008年にアルツハイマー病に罹ったことが明らかになり、以降は治療に専念していたが、昨年、彼の75歳の誕生日にウスキ夫人がドイツの日刊紙『BILD』に対して「夫は24時間ベッドで過ごし、ほんの一瞬だけ目を覚ますだけです。眠っている間に、死に向かってゆっくりと進んでいます。彼は落ち着いており、痛みも感じていないと思います」と語り、重篤な状態であることを明かしていた。

 1945年11月3日に西ドイツのネルトリンゲンで4人兄弟の末っ子として生まれたミュラーは、幼少期から抜群の得点能力を発揮し、地元クラブでプレーしていた16歳の時には1シーズンで197ゴールを挙げている。サッカーで生計を立てようと決意し、19歳で当時地域リーグ所属のバイエルンに入団したが、最初はズトラコ・チャイコフスキ監督からは「サラブレットの中に小さなゾウがいる」と酷評され、チームに加えることを拒絶されたという。
 
 しかし、自転車選手並みの太腿(62センチ!)を持つ点取り屋は初年度から33得点を記録してクラブをブンデスリーガ昇格に導くと、そこからはリーガ(4回)、DFBポカール(4回)、チャンピオンズ・カップ(3回)、カップウィナーズ・カップ(1回)、インターコンチネンタル・カップ(1回)というバイエルンの輝かしいタイトル歴を自らのゴールで築き上げ、さらに西ドイツ代表としてもEURO72、地元開催の74年ワールドカップを勝ち取った。

 また個人では、7回のリーガ得点王の他、EURO72、70年メキシコW杯でも最多得点者に。そして70年には、ボビー・ムーア、ルイジ・リーバを抑えてドイツ人初のバロンドール受賞者にもなっている。メディアからは「中盤では平凡な選手」、共に世界の頂点に立った名将ヘルムート・シェーンからも「技術的にゲルト以上の選手は幾らでもいた」と言われる一方で、「ゴール前の狭いスペースで厳しいマークを受ける中で、彼ほどの働きを見せる選手は他にいない」(シェーン監督)と絶賛されたミュラーは、驚くべき数字を記録した。

 ブンデスリーガでは通算で427試合出場365得点、西ドイツ代表では62試合出場68得点。後者はミロスラフ・クローゼに、リーガではシーズン最多得点(40点)を昨季ロベルト・レバンドフスキにそれぞれ更新されたが、その得点率の高さは驚異的であり、他にも更新不可能とされる多くの記録をいまだに保持している。
 
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