7月5日、北アイルランド・アーマー県ラガンのスタジアム「モーンビュー・パーク」で、ここを本拠地とする同国1部リーグのクラブ、グレナボンが親善試合を行なった。
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対戦相手はドイツの3部リーグに属するエルツゲビルゲ・アウエで、試合はアウェーチームが2-0の勝利を収めたが、試合前、両チームがピッチに登場して観客の前で整列した際には、なぜか「チャンピオンズリーグ・アンセム」が場内に流された。これには、実に65年前、両クラブが当時の国際情勢に翻弄されたという歴史的背景があった。
1959-60シーズン、グレナボンは北アイルランドで、当時は「ヴィスムート・カール=マルクス=シュタット 」という名称だったアウエは東ドイツで、それぞれ国内リーグを制し、翌シーズンの「チャンピオンズカップ」の出場権を得た。このCLの前身大会は、各国リーグ王者と前のシーズンの欧州王者だけが参加でき、1回戦からトーナメント方式(中立地で行なわれる決勝以外はホーム&アウェー)が採用されており、抽選によって両クラブは対戦が決まった。
しかし、当時は東西冷戦の真っただ中にあり、欧州を「鉄のカーテン」が二分していた時代、東西の行き来は簡単ではなく、グレナボンの東ドイツ行きのためのビザは発給されず、またヴィスムートもベルリンの英国大使館によって入国を拒否されたことから、中立地での開催が提案されたものの、移動費の捻出が難しいことから、グレナボンは「棄権」せざるを得ず、東ドイツのアウエが不戦勝で2回戦進出(オーストリアのラピッド・ウィーンに敗退)を果たした。
冷戦時代には、自由主義圏と共催主義圏のクラブの対戦ではしばしば起きたことであり、遠い過去の出来事として忘れ去られていたこの対決に脚光が当てられたのは、4年前のことだという。英国の日刊紙『The Guardian』によれば、グレナボンのサポーター連絡係を務めるアダム・カーソン氏が「半分ジョークのつもりで」(本人談)SNSに「もしあの試合が実現していたら?」と投稿したことで、事が動き始めたのである。
このツイートにアウエのファンが反応し、実際に北アイルランドを訪れてグレナボンの試合を観戦するなど最初にファン同士の交流が始まり、そこからクラブ同士もコンタクトを取るようになり、まず昨年7月にグレナボンがアウエを訪れ、「エルツゲビルゲ・シュタディオン」で試合は実現した(5-0でアウエの勝利)。
そして今回、グレナボンの「ホームゲーム」が実現したことで、実に65年ぶりにチャンピオンズカップ1回戦は決着したのである。なお、この試合ではアウェーチーム用に当初750枚の入場チケットが用意されていたものの、すぐに完売したため、さらに500枚が追加されたという。
英国公共放送『BBC』は、アウエのスポーツディレクター、マティアス・ハイドリッヒ氏がこの“歴史的”な一戦について「試合結果は重要ではない。友情、歴史、そして長年未完だったこの物語をようやく完結できたこと――それこそが、この試合の真の意義である」と語ったことを伝えた。
また北アイルランドの日刊紙『News Letter』は、グレナボンとの親交をさらに深めたアウエ・サポーターの「これを一度きりの出来事にしたくない。今では確かに友情があるし、パートナーシップが築かれた。グレナボンも我々も、地域に根ざした労働者階級のクラブ。両クラブの人々がクラブを支え続けている姿には共通点があると思う」とのコメントを紹介している。
構成●THE DIGEST編集部
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1959-60シーズン、グレナボンは北アイルランドで、当時は「ヴィスムート・カール=マルクス=シュタット 」という名称だったアウエは東ドイツで、それぞれ国内リーグを制し、翌シーズンの「チャンピオンズカップ」の出場権を得た。このCLの前身大会は、各国リーグ王者と前のシーズンの欧州王者だけが参加でき、1回戦からトーナメント方式(中立地で行なわれる決勝以外はホーム&アウェー)が採用されており、抽選によって両クラブは対戦が決まった。
しかし、当時は東西冷戦の真っただ中にあり、欧州を「鉄のカーテン」が二分していた時代、東西の行き来は簡単ではなく、グレナボンの東ドイツ行きのためのビザは発給されず、またヴィスムートもベルリンの英国大使館によって入国を拒否されたことから、中立地での開催が提案されたものの、移動費の捻出が難しいことから、グレナボンは「棄権」せざるを得ず、東ドイツのアウエが不戦勝で2回戦進出(オーストリアのラピッド・ウィーンに敗退)を果たした。
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このツイートにアウエのファンが反応し、実際に北アイルランドを訪れてグレナボンの試合を観戦するなど最初にファン同士の交流が始まり、そこからクラブ同士もコンタクトを取るようになり、まず昨年7月にグレナボンがアウエを訪れ、「エルツゲビルゲ・シュタディオン」で試合は実現した(5-0でアウエの勝利)。
そして今回、グレナボンの「ホームゲーム」が実現したことで、実に65年ぶりにチャンピオンズカップ1回戦は決着したのである。なお、この試合ではアウェーチーム用に当初750枚の入場チケットが用意されていたものの、すぐに完売したため、さらに500枚が追加されたという。
英国公共放送『BBC』は、アウエのスポーツディレクター、マティアス・ハイドリッヒ氏がこの“歴史的”な一戦について「試合結果は重要ではない。友情、歴史、そして長年未完だったこの物語をようやく完結できたこと――それこそが、この試合の真の意義である」と語ったことを伝えた。
また北アイルランドの日刊紙『News Letter』は、グレナボンとの親交をさらに深めたアウエ・サポーターの「これを一度きりの出来事にしたくない。今では確かに友情があるし、パートナーシップが築かれた。グレナボンも我々も、地域に根ざした労働者階級のクラブ。両クラブの人々がクラブを支え続けている姿には共通点があると思う」とのコメントを紹介している。
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