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Jリーグ・国内

神様ジーコが激怒した日――27年前の4月12日から“常勝鹿島“の歴史は始まった

小室功

2020.04.12

 クロアチア戦の惨敗から10日後、イタリアの名門インテルとの練習マッチが組まれた。FWスキラッチ、MFベルティ、DFベルゴミ、GKゼンガと、90年に地元イタリアで開催されたワールドカップの主要メンバーがずらりと顔をそろえていた。

 これまた強豪だ。名前負けどころの騒ぎではないだろう。

 だが、闘争心にあふれる鹿島はひるむことなく、戦った。40分ハーフで、フレンドリーマッチの様相が色濃い試合だったとはいえ、1-1という結果にジーコをはじめ、首脳陣は手応えを感じた。

 クロアチア戦とインテル戦を比較したとき、スタメンに2つの変更点が挙げられる。それまでCBのバックアッパーだった大卒ルーキーの秋田豊が右SBに抜擢され、中盤の守備的な位置に石井正忠が入ったのだ。

 最終ラインはCBコンビが大野俊三と奥野僚右(大卒ルーキー)、左SBが大場健史、そして右SBが秋田。攻撃的な大場が高いポジションを取ることが多く、実質的に奥野、大野、秋田による3バックといったイメージだった。
 
 中盤は本田泰人、サントス、石井が3ボランチのような形になり、ジーコの守備の負担を極力軽減し、攻撃に専念してもらうというのが狙いだ。2トップのファーストチョイスはアルシンドと長谷川祥之。インテル戦のスタメンが、その後のチームの原型となった。

 およそ3週間にわたるイタリア遠征を終え、日本に戻った鹿島はフルミネンセ(ブラジル)との親善試合を2試合行ない、5月16日のJリーグ開幕に臨んだ。

 地元カシマスタジアムに名古屋を迎え入れての一戦は、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで、会心の勝利を飾る。この勢いのままにサントリーシリーズを駆け抜け、何と2節を残した段階で、初代王者に輝いた。

 サントリーシリーズ優勝の要因を紐解いていくと、やはりクロアチア戦にいきつく。93年4月12日、あの惨敗が転機となって戦う集団と化した鹿島はチャンピオンチームに相応しいマインドを身につけていったのだから。

文●小室功(オフィスプリマベーラ)
 
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