彼らが愛し続けるのは、ボールを使って楽しむ喜びを伝えつつも、常に貧しい人、弱い立場の人を守るために権力に逆らい、立ち向かい、彼らを助けるためならば(例えそれが赤の他人でも)、身体を張って即行動に移した「大衆の味方」としてのマラドーナなのである。
それを裏付けているのが、この1年間、アルゼンチン全土で一気に増えたマラドーナの壁画だ。「壁画」と表現すると大層な響きがあるが、この場合はいわゆるアーバンアート。以前は数えるほどしかなかったのが、逝去後は国内の至るところでマラドーナの肖像が見られるようになり、今も各地で増え続けている。その現象こそ、この国で「マラドーナは生きている」と言い切れる証拠なのだ。
マラドーナの写真を使ったアートを施すことで知られ、2016年にはナポリ市内の各所にも作品を残したアーティスト、San Spiga(サン・スピガ)ことサンティアゴ・スピガリオルは「アーバンアートこそマラドーナに捧げるオマージュに相応しい」と語る。
「時には違法であり、刹那的で破壊的だが、同時に国境を越える影響力を発揮し、力強い。アーバンアートそのものが、反骨心に溢れていたマラドーナ自身を象徴していると言っていいだろう」
スピガリオルは、マラドーナの逝去後に彼の壁画が増えたことについて「正義が果たされた」と語る。過去、街角でアートを施していると理解してもらえず、通りがかりの人から怪訝そうな顔で「なぜマラドーナの肖像を残すのか」と問われた経験が何度もあったというのだ。
「アルゼンチン国内だけでなく、ナポリでも同じ目に遭った。ところが彼が亡くなった時、私が残したアートは一種の祭壇と化し、人々がキャンドルや花を供える場所になったんだ。追悼と感謝の気持ちを伝えるために、誰もがマラドーナの肖像を求めたのさ。今(マラドーナの壁画が)あちこちで見られるようになったのは、人々がそれだけマラドーナを間近に感じている証拠なんだ」
普段はアルゼンチン国営放送の子ども向け教育番組でアートを教えているスピガリオルだが、仕事の合間を縫っては首都ブエノスアイレスのみならず、地方都市にも足を伸ばして街角をマラドーナの肖像で飾っている。
それを裏付けているのが、この1年間、アルゼンチン全土で一気に増えたマラドーナの壁画だ。「壁画」と表現すると大層な響きがあるが、この場合はいわゆるアーバンアート。以前は数えるほどしかなかったのが、逝去後は国内の至るところでマラドーナの肖像が見られるようになり、今も各地で増え続けている。その現象こそ、この国で「マラドーナは生きている」と言い切れる証拠なのだ。
マラドーナの写真を使ったアートを施すことで知られ、2016年にはナポリ市内の各所にも作品を残したアーティスト、San Spiga(サン・スピガ)ことサンティアゴ・スピガリオルは「アーバンアートこそマラドーナに捧げるオマージュに相応しい」と語る。
「時には違法であり、刹那的で破壊的だが、同時に国境を越える影響力を発揮し、力強い。アーバンアートそのものが、反骨心に溢れていたマラドーナ自身を象徴していると言っていいだろう」
スピガリオルは、マラドーナの逝去後に彼の壁画が増えたことについて「正義が果たされた」と語る。過去、街角でアートを施していると理解してもらえず、通りがかりの人から怪訝そうな顔で「なぜマラドーナの肖像を残すのか」と問われた経験が何度もあったというのだ。
「アルゼンチン国内だけでなく、ナポリでも同じ目に遭った。ところが彼が亡くなった時、私が残したアートは一種の祭壇と化し、人々がキャンドルや花を供える場所になったんだ。追悼と感謝の気持ちを伝えるために、誰もがマラドーナの肖像を求めたのさ。今(マラドーナの壁画が)あちこちで見られるようになったのは、人々がそれだけマラドーナを間近に感じている証拠なんだ」
普段はアルゼンチン国営放送の子ども向け教育番組でアートを教えているスピガリオルだが、仕事の合間を縫っては首都ブエノスアイレスのみならず、地方都市にも足を伸ばして街角をマラドーナの肖像で飾っている。