彼の真面目さとタレント性は、すぐに他のボローニャより大きなチーム——別にボローニャを小さく見ているわけではないが——からも注目されるようになる。
まずはユベントスがキャリア終盤に差し掛かっていたジョルジョ・キエッリーニの代役としてアプローチを始め、それにミランやアタランタも続いた。しかし、ボローニャはなかなか首を縦に振らなかった。
というのも、冨安自身が内々に「プレミアリーグに行きたい」と具体的な希望を漏らしていたからだ。そうしたなかで、ついにアーセナルが獲得に乗り出し、高額オファーを提示した時、移籍話は前進していった。
もちろん、シニシャは不満だった。
セリエAの順位争いが佳境に差し掛かっていた2021年4月、シニシャは一度だけ、冨安に関連する話題で怒りを爆発させたことがある。それは本人に向けたものか? いや違う。日本サッカー協会に対してであった。
この頃、日本サッカー協会は、冨安を韓国との親善試合とW杯予選のモンゴル戦に招集。日本代表はそれぞれで勝利したのだが、23歳だった日本人DFは負傷。これにシニシャは公の場で不満を爆発させたのだ。
「大差で勝てる試合と分かっていながら、なんでわざわざヨーロッパでプレーしている選手を呼ぶんだ。こんな試合は“おじいちゃんカップ”みたいなもんだろう。私は日本代表の監督じゃないからわからないが……他の選手を使ってみてもよかったんじゃないか? おかげで今私はこの大事な時期にトミーを使えなくなってしまった」
このセリフには多少説明が必要だろう。“おじいちゃんカップ”(イタリア語でCoppa del Nonno)とはイタリアでは誰もが知っているコーヒー味のアイスクリームの商品名だ。紙カップに入っているため、あまり価値のない大会などの比喩として使われる。
もちろん、モンゴル戦はW杯予選であり、あまりにも言いすぎだとは感じたが、言いたいことはキッパリと言うスタイルこそシニシャなのだ。もちろん、それだけ彼にとって冨安が大事だったとも言える。
稀代の闘将が重宝していた若武者の去就は、なかなか決まらなかった。2020-2021シーズンのセリエAは6月21日に終わり、冨安に関する移籍の噂は日に日に注目度が高まっていたが最終決定に至らず。ついには夏の移籍市場が閉まる8月31日になっても、何の音沙汰もなかった。
まずはユベントスがキャリア終盤に差し掛かっていたジョルジョ・キエッリーニの代役としてアプローチを始め、それにミランやアタランタも続いた。しかし、ボローニャはなかなか首を縦に振らなかった。
というのも、冨安自身が内々に「プレミアリーグに行きたい」と具体的な希望を漏らしていたからだ。そうしたなかで、ついにアーセナルが獲得に乗り出し、高額オファーを提示した時、移籍話は前進していった。
もちろん、シニシャは不満だった。
セリエAの順位争いが佳境に差し掛かっていた2021年4月、シニシャは一度だけ、冨安に関連する話題で怒りを爆発させたことがある。それは本人に向けたものか? いや違う。日本サッカー協会に対してであった。
この頃、日本サッカー協会は、冨安を韓国との親善試合とW杯予選のモンゴル戦に招集。日本代表はそれぞれで勝利したのだが、23歳だった日本人DFは負傷。これにシニシャは公の場で不満を爆発させたのだ。
「大差で勝てる試合と分かっていながら、なんでわざわざヨーロッパでプレーしている選手を呼ぶんだ。こんな試合は“おじいちゃんカップ”みたいなもんだろう。私は日本代表の監督じゃないからわからないが……他の選手を使ってみてもよかったんじゃないか? おかげで今私はこの大事な時期にトミーを使えなくなってしまった」
このセリフには多少説明が必要だろう。“おじいちゃんカップ”(イタリア語でCoppa del Nonno)とはイタリアでは誰もが知っているコーヒー味のアイスクリームの商品名だ。紙カップに入っているため、あまり価値のない大会などの比喩として使われる。
もちろん、モンゴル戦はW杯予選であり、あまりにも言いすぎだとは感じたが、言いたいことはキッパリと言うスタイルこそシニシャなのだ。もちろん、それだけ彼にとって冨安が大事だったとも言える。
稀代の闘将が重宝していた若武者の去就は、なかなか決まらなかった。2020-2021シーズンのセリエAは6月21日に終わり、冨安に関する移籍の噂は日に日に注目度が高まっていたが最終決定に至らず。ついには夏の移籍市場が閉まる8月31日になっても、何の音沙汰もなかった。