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海外サッカー

ミハイロビッチの忘れがたき日本人、冨安健洋。伊番記者が伝える闘将の語った愛弟子退団への“本音”「移籍は不可避だったのか?」

THE DIGEST編集部

2022.12.28

アーセナルでもレギュラーとしての地位を確立している冨安。この日本人DFをセルビアの闘将はとにかく気遣い続けた。(C)Getty Images

アーセナルでもレギュラーとしての地位を確立している冨安。この日本人DFをセルビアの闘将はとにかく気遣い続けた。(C)Getty Images

 シニシャは「そのまま何も決まらないでほしい」と願っていた。だが、終了5時間前になってボローニャとアーセナルが合意し、移籍金2300万ユーロでの退団が決まった。指揮官はそれが残念でならなかった。筆者が9月2日に行なったインタビューで、こう漏らしていた。

「トミーの移籍は本当に不可避だったのか? 多分そうだ。チーム運営的にはそうなのかもしれない。でも最後の最後までやきもきさせられたのが、私はとても嫌だった」

 そしてその10日後の9月12日にはこうも言っている。

「4年前にトミーは日本にいて、3年前にはベルギーの2部にいた。そして2年も私と共にプレーした後、彼はヨーロッパのビッグクラブにいる。これまでボローニャからプレミアのトップチームに飛び立っていった選手はいない。この先、私は彼の不在を大きく感じるだろう。

 トミーはディフェンスのあらゆるポジションをカバーできた。しかし、同時に私は誇りにも感じている。私は偽りの謙遜などしない。だから言うよ。彼がここまで育ったのは私と、そしてスタッフたちのおかげだ。ボローニャは安い金額で彼を買い、高額で売った。スカウトした者たちの目も確かだった」

 このセリフからもシニシャ・ミハイロビッチとはどんな人間だったかがよくわかるだろう。決して歯に衣をきせず、多少荒くも自分の考えを率直に口にし、周囲におもねったり、型にはまった物言いを嫌う。必要であると感じれば立場が悪くなろうとも、自分の考えを表明した。

 時に疑問の残る方法を取る場合も決して少なくなかったが、その姿勢は一貫して昔から変わらなかった。例えばユーゴスラビア紛争の時でさえも、彼は人道に反したと告発された戦犯をも支援した。
 
 ピッチでも熱くなるとアドリアン・ムトゥに唾を吐き、パトリック・ヴィエラに差別発言を投げかけた。つまり一筋縄ではいかない男だったのだ。しかし、その裏には別な顔も隠されていた。彼は一度信頼した人間は、絶対に裏切らない。だからこそ選手たちからも非常に愛されていた。

 シニシャは子どもの頃、母親に言われていた言葉を、自分の選手たちにも繰り返し言っていた。

「まずは先に相手をひっぱたけ。そして相手が叩き返してきて、自分より強いと感じたら逃げろ。相手が強くて、同時に足も速いということはまずない」

 白血病という敵と出会った時、彼は獅子のように勇敢に戦った。そしてほぼ勝利を確信した矢先、病魔は彼よりも早く襲ってきてしまった。数少ない強さと速さを併せ持った手ごわい敵だったのだ。

取材・文●パオロ・フォルコリン
Text by Paolo Forcolin

訳●利根川晶子
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