海外テニス

綿貫陽介が自身初の全豪オープン予選突破!悲願達成を後押ししたのは「人間的な成長」<SMASH>

内田暁

2023.01.13

予選3試合を勝ち抜いて全豪オープン本戦の扉を見事こじ開けた綿貫陽介(写真は2022年全豪予選)。(C)Getty Images

 固く閉ざされた重い扉は、自らの手で力強くこじ開けた。

 コーナーに刺さるサービスで相手のラケットを弾くと、こぶしを固め、天を仰ぎ咆哮する。

 対戦相手と握手を交わし検討を称えると、綿貫陽介は満面の笑みを広げながら、コートサイドへと歩みを進めた。そこに居るのは、兄でコーチの綿貫敬介。弟と抱擁を交わした兄は、肩を震わせ涙をこぼした。

「敬介には本当に感謝しています。兄弟で無かったら、ここまで付いてきてくれないだろうというほどに、酷いこともしてきましたし」

 飾らぬ謝意を言葉にすると、弟の大きな目にも涙が溜まる。

「ここに来るまで時間がかかった分、本当にいろんな方に感謝しています。言葉にするとすごく軽くなるけど、自分一人ではテニスはできなかったということを本当に感じています」

 そう言うと綿貫は、高ぶる感情を開放するように、大きく息を吐き出した。

「人間的な成長」――。

 それは綿貫がこの数日、幾度も口にした言葉であり、自らに課してきた命題である。
 
 実家はテニスアカデミーで、二人の兄もテニス選手/コーチ。テニス一家として知られる綿貫家の三男は、ジュニア時代から関係者の耳目を集める存在だった。

 実際に彼はジュニア世界ランキング2位となり、18歳にして全日本選手権をも制す。プロ転向と同時に日清食品がメインスポンサーとなり、大手スポーツ代理店のIMGがエージェントについた。

「若い時は大人の方がたくさん助けてくれた。当時の自分ではわからなかったが、いろんな経験もさせて頂きました」

 6年ほど前の日を思い返す綿貫は、「ジュニア上がりの頃は、自分一人で強くなったと思っていた」とも続けた。

 はじめてグランドスラム予選に出場したのは、20歳の時。2019年には全豪オープンとウインブルドンで予選決勝に勝ち上がるも、いずれも最後の1勝に阻まれた。その後はコロナ禍などもあり、ランキングが上がらぬ時期を過ごす。2021年は1度もグランドスラム予選に出られず、22年も1月の全豪オープン以降は出場圏に届かなかった。

 自ら「三男坊の甘えん坊」と称していた彼が、目に見える変化を示したのが、昨年夏にチームにトレーナーを加えたことだろう。
 
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変化を恐れずに挑んだ肉体改造が功を奏した