国内テニス

小さな町のテニス協会が、1人のプロを生み出した。ロールモデルにもなり得る地域協会のあり方

赤松恵珠子(スマッシュ編集部)

2019.12.22

石川県津幡町で開催された「地域活性化プロジェクト」で、参加者にアドバイスをする斉藤貴史。写真:山崎賢人(THE DIGEST写真部)

 2014年の全日本選手権で斉藤貴史が準決勝に進出する快進撃を見せた時、横断幕を掲げてかなり目立つ一団がいた。それが、石川県から駆け付けた津幡町(つばたまち)テニス協会のメンバーだった。

 津幡町は斉藤の故郷で、プロ転向後の数年は、「津幡町テニス協会」が所属先だった。プロになるにあたり最も必要なのは、当然ながらお金。津幡町テニス協会は「斉藤貴史を応援する会」のHPを立ち上げて、基金を募ってくれた。ここだけにとどまらず、石川県の有志や企業のサポート受けて、斉藤はプロ活動をスタートさせた。

 斉藤のように、協会がプロになる時にサポートしてくれるのは、とても珍しいことだ。沼尻啓介も、「協会というのは、特定の1人を応援できないというか、少し距離のある存在なのかなと僕の中では思っていました。でも、津幡町テニス協会と貴史は、本当にファミリーのようで、うらやましいなと思いました」と言う。

 協会という組織は常に平等であることを意識するものだ。1人のプロをサポートすることが、どうして可能だったのだろうか。
 
 津幡町テニス協会の歴史をざっと振り返ってみよう。津幡町でテニスをするグループが誕生したのが1978年のことで、協会となったのが1980年。普及のために1996年からジュニアクラスを開始した。婦人テニス教室も開講し、そこに斉藤の母親、美穂さんが参加。ソフトテニスでインターハイ出場経験があり、勉強熱心な美穂さんは、協会スタッフとなり、ジュニアの指導者へとなっていく。
 
 斉藤は兄と一緒にヨチヨチ歩きの時から、母親に連れられてテニスコートに来ていた。協会スタッフにとっては、家族の一員のような存在だ。しかし、それだけではサポートを決めるには至らなかっただろう。協会創立者である前田猛夫氏は、「協会がサポートしたくなるような選手が育ったから」だと言う。「応援したくなるような人柄。元気でファイトがあり、人情がある」と斉藤を評する。

 故郷で開催された「地域活性化プロジェクト」というテニスのレッスンイベントでも、人一倍声を出して盛り上げており、前田氏が言う「応援したくなる」選手だ。

 斉藤は、「僕は大きい町の出身ではないので、必然的に色んな人にお世話になるしかありませんでした。自分から関係を作ったり、お願いする。そうしていると、周りに知ってもらえて応援してくれるようになるのです」と振り返る。