『Match in Africa 6』――。
2月7日に、サッカーおよびラグビー専用スタジアムで開催されたテニスのチャリティーイベントは、そのように銘打たれた。
「6」の数字は、このチャリティーイベントが今回で6回目を数えていることを意味している。そしてこの数字以外にもう一つ、今回のイベント名が、過去のそれと異なる点があった。それが「in」の部分であり、この2文字こそが、ロジャー・フェデラーにとって何より大きな意味を持った。アフリカの子ども救済のために始めたチャリティーイベントが、6回目にしてついに、アフリカ大陸に至ったからである。それも母親の母国である、南アフリカでの開催だ。
「ついに、Match for Africaをアフリカでできた。こんなに時間がかかってごめん。僕にとって、これは何にも代えがたい意味を持つ」
試合のためコートに現れたフェデラーは、満席で膨れ上がった観客を前に、まずは謝罪と謝意の言葉を口にした。
“ロジャー・フェデラー・ファンデーション”活動の一貫として産声をあげたMatch for Africaの、第1回が開催されたのは2010年のことである。記念すべき初回の対戦相手を務めたのは、当時世界1位のラファエル・ナダル。開催地はフェデラーのホームのスイスであり、さらに後日にはナダル基金主催のイベントとして、スペインでもチャリティーマッチが行なわれた。
以降もこのイベントは、スタン・ワウリンカやアンディ・マリー、ジョン・イズナーら、参加者と土地を変えながら開催を重ねていく。そのイベントがついに、フェデラーの念願叶い南アフリカで開催の運びとなったのが、今年のMatch in Africaである。その試合の対戦相手には、どうしても「最大のライバルにして親友」であるナダルを、フェデラーは切望した。ナダルへの最初の打診から、実際にスケジュールを調整し今回の実現に至るまでに、2年の歳月を要したという。
「このイベントの主催者であり、サウスアフリカにルーツを持つスイスのテニスプレーヤー!」のアナウンスに乗せ、万雷の拍手と大歓声を浴びながら、フェデラーはケープタウンスタジアムに設置されたコートに足を踏み入れた。このスタジアムは、2010年サッカーワールドカップの開催地であり、最終的に優勝したスペインも試合をしたピッチ。ナダルにとっても、その試合をテレビで見ていた「思い入れのある場所」だという。
2月7日に、サッカーおよびラグビー専用スタジアムで開催されたテニスのチャリティーイベントは、そのように銘打たれた。
「6」の数字は、このチャリティーイベントが今回で6回目を数えていることを意味している。そしてこの数字以外にもう一つ、今回のイベント名が、過去のそれと異なる点があった。それが「in」の部分であり、この2文字こそが、ロジャー・フェデラーにとって何より大きな意味を持った。アフリカの子ども救済のために始めたチャリティーイベントが、6回目にしてついに、アフリカ大陸に至ったからである。それも母親の母国である、南アフリカでの開催だ。
「ついに、Match for Africaをアフリカでできた。こんなに時間がかかってごめん。僕にとって、これは何にも代えがたい意味を持つ」
試合のためコートに現れたフェデラーは、満席で膨れ上がった観客を前に、まずは謝罪と謝意の言葉を口にした。
“ロジャー・フェデラー・ファンデーション”活動の一貫として産声をあげたMatch for Africaの、第1回が開催されたのは2010年のことである。記念すべき初回の対戦相手を務めたのは、当時世界1位のラファエル・ナダル。開催地はフェデラーのホームのスイスであり、さらに後日にはナダル基金主催のイベントとして、スペインでもチャリティーマッチが行なわれた。
以降もこのイベントは、スタン・ワウリンカやアンディ・マリー、ジョン・イズナーら、参加者と土地を変えながら開催を重ねていく。そのイベントがついに、フェデラーの念願叶い南アフリカで開催の運びとなったのが、今年のMatch in Africaである。その試合の対戦相手には、どうしても「最大のライバルにして親友」であるナダルを、フェデラーは切望した。ナダルへの最初の打診から、実際にスケジュールを調整し今回の実現に至るまでに、2年の歳月を要したという。
「このイベントの主催者であり、サウスアフリカにルーツを持つスイスのテニスプレーヤー!」のアナウンスに乗せ、万雷の拍手と大歓声を浴びながら、フェデラーはケープタウンスタジアムに設置されたコートに足を踏み入れた。このスタジアムは、2010年サッカーワールドカップの開催地であり、最終的に優勝したスペインも試合をしたピッチ。ナダルにとっても、その試合をテレビで見ていた「思い入れのある場所」だという。