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海外テニス

【レジェンドの素顔6】エバート家の歴史が支えた”辛抱強い”スタイル。父親が授けた3つの鉄則をクリスは勝利に結びつけた|後編<SMASH>

立原修造

2021.04.07

クリスの父親のジミーは恵まれない環境の中でテニスを続けようと努力していた。クリスの忍耐強さは父親譲りであるようだ。写真:THE DIGEST写真部

クリスの父親のジミーは恵まれない環境の中でテニスを続けようと努力していた。クリスの忍耐強さは父親譲りであるようだ。写真:THE DIGEST写真部

「パパが小さかった頃は、月に一度しか肉が食べられなかったものだ。それもほんの一口さ」

 後にクリスが新しいドレスをねだると、ジミーはそう言ってたしなめた。

 苦しい環境で育ったから、ジミーにテニスをする余裕などあろうはずがない。しかし、近所に有名なテニスクラブがあって、名プレーヤーも度々見かけた。テニスへの興味はつのるばかりだった。

 そこでジミーは家のそばの通りに自前のネットを張り、にわかコートを作ってプレーを楽しんだ。少し大きくなると、ボールボーイのアルバイトもできるようになり、正式のテニスコートでプレーするチャンスにも恵まれるようになった。腕はメキメキと上がった。プレースタイルは今のクリスと同じく、粘り強さを身上とするものだった。

 ジミーの最高成績は、1942年の全米選手権でベスト16になったことだ。優勝したシュローダーにセットカウント1ー3で敗れている。

 プレーヤー生活に見切りをつけたジミーはフロリダのフォート・ローダーデールに移り住み、20面のコートを持つ市営ホリデー・パークのティーチング・プロになった。
 
 ここまで、ジミーのテニス人生を振り返ってみると、彼がいかに忍耐強い人間であるかがわかる。恵まれない環境の中で、テニスを続けようと必死に努力することは誰にでもできることではない。

 実生活の中で、ジミーがクリスに教えようとしたのも、まさにその点である。「子どもには目標というものが必要だ。目標のない子どもは学校から帰っても退屈ばかりしてよくない」。

 ジミーはよくそう言った。そして、クリスが何事でも中途半端にやめてしまうと、ひどくおこった。学校の勉強でも部屋のかたづけでも。クリスはそのたびに尻をたたかれた。

 ジミーはまた厳格なカトリック教徒でもあった。ルクセンブルクという国は、今でも国民の97%がカトリックといわれるほど旧教が強い。エバート家も代々そうだった。

 カトリックは概して保守的傾向が強く、儀礼を尊重し、生活は常にきびしくあろうとする。ジミーは徹底した宗教教育を、クリスに施した。必然的にクリスも強い信仰心を持つようになった。日曜日には必ず教会へ行き、食事の前の祈りは欠かさず、定期的に懺悔にも行った。
 
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