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国内テニス

フェデラーやチャンと『名勝負』を繰り広げた鈴木貴男のテニスキャリアを、担当編集者が振り返る<SMASH>

保坂明美(THE DIGEST編集部)

2021.05.08

2005年全豪ではオーストラリアの観客を熱狂させた(写真左/THE DIGEST写真部)。右写真の右側がコーチのクラウディオ・ピストレッジ、隣が鈴木、左側が添田豪のコーチを務めたダビド・サンギネッティ(写真:本人提供)

2005年全豪ではオーストラリアの観客を熱狂させた(写真左/THE DIGEST写真部)。右写真の右側がコーチのクラウディオ・ピストレッジ、隣が鈴木、左側が添田豪のコーチを務めたダビド・サンギネッティ(写真:本人提供)

 その後、鈴木はアジアの大会にとどまらず、ヨーロッパやアメリカにも盛んに遠征し、ランキングが上がれば、すぐに上の大会へ挑戦した。1998年にはチャレンジャーで3勝、ATPツアーのストックホルムオープンでベスト8入りするとランキングは102位をマークした。

 鈴木がよく言う勝利の鉄則に「全日本で優勝しようと思っていたら優勝できない。チャレンジャーで優勝したいと思っていては優勝できない。その先を見ることによって努力の形が自然と変わり、優勝がついてくる」というものがある。

 試合はあくまでも自分を試す場にしか過ぎない。だからこそ、勝っても負けても試合が終わればすぐにコートへ向かい、練習を重ねた。「そういうふうにクラウディが導いてくれました」と当時を振り返る。

 その後は1999年、全豪オープンでファイナルセットまで追い詰めたアレックス・コレッチャ戦、2001年、有明でマイケル・チャンを破りベスト8まで進出したAIGジャパン・オープンといった大舞台で存在をアピールする。

 そして本人が「一番印象に残っている試合」に挙げた2005年全豪オープン2回戦、前年優勝者であり、No.1であったロジャー・フェデラーとの一戦は、多くの人の心に残る試合となった。

 結果は3−6、3−6、4−6のストレートで敗れたが、この試合で鈴木がネットへ出た回数は「96回」、サービスの最高速度は時速211キロで、フェデラーの207キロを上回った。203位の日本人選手が1位の選手をサーブ&ボレーで追い詰める様子にオージーたちは熱狂した。
 
 試合を終えた後、「テニス人生の中で大きな1ページになった。それを活用するためにも少しでも長く世界で戦いたいと思う」と語った鈴木、彼のキャリアは言葉のとおりになったと言える。

 その後は翌年のAIGジャパン・オープン準々決勝にてフェデラーと再戦。ファイナルセット・タイブレークまで追い込んだ。試合後フェデラーは、故障の影響で1078位だった鈴木のことを「ランキング1000位台の選手ではない」と賞賛した。

「性格上、たくさんの観客の方が見てくれていたり、デ杯のようなモチベーション高く臨める試合では不思議と結果が出ていましたね。自分の好きな環境だったり、勢いに乗ったときの僕を止めるのは難しかったと思う。でもところどころで無理が生じ、故障で自分の勢いを止めてしまったのは、残念だった」

 ランキングで100位を切ることは叶わなかったが、多くの人の記憶に残る試合を残し、「ミスター有明」の異名をとった。ランキングが下がってしまってからの38歳でITFフューチャーズ初優勝、40歳で準優勝という成績も、彼が“勢いに乗った”からこその結果だったといえよう。
 
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