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国内テニス

かつて自分が目指したあの場所を目に焼き付けて…26歳の沼尻啓介がコーチ専念を決意した理由<SMASH>

内田暁

2021.12.01

小学6年生の時に初めて2人で行った海外遠征のスナップ。左が沼尻、右が西岡。写真提供:沼尻啓介

小学6年生の時に初めて2人で行った海外遠征のスナップ。左が沼尻、右が西岡。写真提供:沼尻啓介

 復帰へのきっかけは、友人との何気ない会話だった。

「フェデラーとテニスやりたい?」
そんな話題になった時、「すっごく、やりたい!」と反射的に答えていた。その時に、「あ。僕、テニス嫌いじゃないんだ」と自覚する。

「では、なぜテニスが嫌になった?」――改めて自分に問いただし、心理学的アプローチも用いて一つひとつの要素を確認した時、思い至ったのは、「自分で自分を認められていない」ということだった。

「社会に役立っていないという思いが強く、自分が自分を認められないことがストレスだったんだなと。なので、何かを社会に還元することで、自分を認めたいって思ったんです」

 それ以降の沼尻は、イベントの出演依頼やコーチングなど、「頼まれたことは、全て引き受けることにした」。中には、ほとんどお金にならない仕事もあった。仲間内からは、そういう依頼は受けるべきではないとの声も上がる。
 
 それでも彼は、引き受け続けることで「自分が満たされた」と感じていた。イベントで触れ合った子どもたちの、明るい「ありがとうございます!」の声。貪欲に助言を求めてくる学生たちの、強い目の光。

 それらに触れているうちに、「自分も人の役に立てるんだ。だったらテニスをもっとやれば、もっと人の役に立てるじゃん」と思えるようになる。

 同時に感じたのは、テニスをする喜びだった。

「駆け引きなどのテニスが有するゲーム性も好きだし、シンプルにボールを打つ感触も好きだ」

 少年の頃と変わらぬ楽しさをテニスに見出した時、試合のコートに立つことにも、迷いや不安はなくなった。

 その後は、立教大学テニス部のコーチなどの指導者業と、選手業を兼任する。その両方にやりがいを覚えながらも、「いつかはどちらかを選ばなくては」と感じていた。

 最終的に心を決めたのは、コロナ禍で試合の機会が減り、一方で森崎可南子や井上雅らツアー選手からも帯同依頼を受けるようになった昨年の末。「営業は得意ではない」という沼尻だが、口コミで評判が広まり、誠実な人柄と共に指導者としての評価を確立していた。
 
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