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格闘技・プロレス

いよいよ“凄いヤツ”が帰って来る!猪木や長州とも戦った「義足のレスラー」谷津嘉章の波瀾万丈なプロレス人生

どら増田

2021.06.01

義足をしながらも戦いを決意する谷津は、2年ぶりにリングに上がる。 (C) CyberFight

義足をしながらも戦いを決意する谷津は、2年ぶりにリングに上がる。 (C) CyberFight

 来る6月6日、「CyberFight Festival 2021」(埼玉・さいたまスーパーアリーナ)での「時間差入場バトルロイヤル」で、谷津嘉章が義足を装着して2年ぶりにリングに復帰する。

 2019年に糖尿病の合併症で右足を膝下から切断。それでもリングに舞い戻った谷津のレスラー人生はまさに波瀾万丈だ。

 アマレスのフリースタイル日本代表として、1976年にモントリオール五輪に出場(8位)した谷津は、金メダルが確実視された1980年のモスクワ五輪では日本がボイコットしたため、“幻の”金メダリストとして話題となった。

 言うまでもなく国内では無敵の実績を誇っていた。そんな谷津に当時のプロレス界が黙っているわけもなく、1980年には新日本プロレスに入団。「ゴールデンルーキー」に用意されたデビュー戦の舞台はなんとアメリカはニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデンでのWWF(現WWE)の一戦だった。

 破格のデビューを飾った谷津はWWFでの武者修行を経たのちに、1981年6月に帰国。蔵前国技館大会のメインイベントで、アントニオ猪木とのタッグで、スタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦するというこれまたド派手な国内デビューを飾った。
 
 試合には敗れたが、全日本から新日本に移籍したばかりのブッチャーと、そのブッチャーにライバル心があったとされるハンセンが組んだコンビとのマッチメイクには、当時のファンからも疑問の声が上がった。結局、破格の米デビューに続く、この国内デビュー戦に対する逆風は強く、軌道修正を強いられた谷津は、再び渡米して各地を転戦した。

 1983年にアメリカで築いたワイルドなスタイルを背負って帰国した谷津は、同じアマレス出身の長州力、マサ齋藤らが立ち上げたユニット「維新軍」に加入。猪木、坂口征二、藤波辰巳(現・辰爾)ら新日本正規軍と対峙する反体制派に回って、猪木とシングル戦を行なえるまでにブレイクする。

 翌年、長州ら複数選手と新日本を退団し、ジャパンプロレスの旗揚げに参加。主戦場を全日本プロレスに移した谷津は、長州とのタッグで、ジャンボ鶴田&天龍源一郎と名勝負を繰り広げ、インターナショナルタッグ王座を獲得した。

 その後、長州が新日本にUターンしてからも、全日本残留の道を選んだ谷津は、「天龍革命」によりパートナーが不在となった鶴田とタッグを結成。コスチュームもデビュー当時の黒のショートタイツに戻し、五輪コンビとして、初代世界タッグ王座を獲得した他、1990年2月には古巣である新日本の東京ドーム大会に五輪コンビで参戦。新日本の木村健悟&木戸修から完勝を収めた。

 まだまだ全日本マットでの活躍が期待されていた谷津だが、同年5月にメガネスーパーが設立した新団体SWSに電撃移籍。2年後にSWSの解散が決まると引退を表明するが、1993年に社会人プロレスSPWFを旗揚げに参加。1994年にはSPWF所属として新日本のリングに上がると、長州と「昭和維新軍」を結成し、平成維震軍との抗争を繰り広げた。
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2002年を最後に長州とは…

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