戦後初の三冠馬シンザンと並んで、長年にわたり日本競馬における最強馬と評されたシンボリルドルフ。神聖ローマ帝国の”皇帝”ルドルフから名付けられた日本競馬屈指のこの優駿が、種牡馬として初年度から送り出したのが、ファンから”帝王”の呼び名でリスペクトされたトウカイテイオーである。
【関連動画】無敗での二冠達成!トウカイテイオーが圧巻の強さを見せつけた1991年ダービーのレース映像
母トウカイナチュラル(その父ナイスダンサー)が産み落としたシンボリルドルフの牡駒は、北海道・浦河の育成場を経て、栗東トレーニングセンターの松元省一厩舎へ預けられた。
さっそく調教が始められると、彼にまたがった厩舎スタッフはみなその柔らかくもバネ効いたフットワークに驚いた。なかには「とうとうウチにダービー馬が来た」と欣喜する人もいたという。
トウカイテイオーの代名詞ともなった弾むような歩様は、彼の繋(つなぎ=蹄の上部でクッションの働きをする部位)の異常なまでの柔らかさに原因があった。
こうした歩様だが、一般的には鶏の歩き方に似ていることから名付けられた「鶏跛」(けいは)と呼ばれる”異常歩様”の一種とされていた。しかしトウカイテイオーは微妙なバランスのなかでその”異常さ”を強みにかえて、類稀な走力、推進力を生み出していたのである。
シンボリルドルフに惚れ込んで撮影を続けていた写真家の今井寿惠(故人)は、関係者から「ルドルフの仔にすごい馬がいる」との連絡を受けて、デビューの新馬戦(芝1800m)戦が行なわれる中京競馬場へ駆けつけ、期待を込めながらスタートの瞬間を待った。
その目前で、トウカイテイオーは目を見張る走りを見せる。
雨で不良馬場となったことをものともせず、後方から徐々に位置を上げると直線に向いて素晴らしいフットワークで先団を一気に抜き去り、最後は鞍上の安田隆行が手綱を抑えたまま後続に4馬身(0秒7)の差を付けて快勝した。
このレースをファインダー越しに見て、「これはただものじゃない」と、”皇帝”が”帝王”を生み出した喜びを興した口ぶりで話したシーンを、当時は競馬雑誌の編集者だった筆者はよく覚えている。
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母トウカイナチュラル(その父ナイスダンサー)が産み落としたシンボリルドルフの牡駒は、北海道・浦河の育成場を経て、栗東トレーニングセンターの松元省一厩舎へ預けられた。
さっそく調教が始められると、彼にまたがった厩舎スタッフはみなその柔らかくもバネ効いたフットワークに驚いた。なかには「とうとうウチにダービー馬が来た」と欣喜する人もいたという。
トウカイテイオーの代名詞ともなった弾むような歩様は、彼の繋(つなぎ=蹄の上部でクッションの働きをする部位)の異常なまでの柔らかさに原因があった。
こうした歩様だが、一般的には鶏の歩き方に似ていることから名付けられた「鶏跛」(けいは)と呼ばれる”異常歩様”の一種とされていた。しかしトウカイテイオーは微妙なバランスのなかでその”異常さ”を強みにかえて、類稀な走力、推進力を生み出していたのである。
シンボリルドルフに惚れ込んで撮影を続けていた写真家の今井寿惠(故人)は、関係者から「ルドルフの仔にすごい馬がいる」との連絡を受けて、デビューの新馬戦(芝1800m)戦が行なわれる中京競馬場へ駆けつけ、期待を込めながらスタートの瞬間を待った。
その目前で、トウカイテイオーは目を見張る走りを見せる。
雨で不良馬場となったことをものともせず、後方から徐々に位置を上げると直線に向いて素晴らしいフットワークで先団を一気に抜き去り、最後は鞍上の安田隆行が手綱を抑えたまま後続に4馬身(0秒7)の差を付けて快勝した。
このレースをファインダー越しに見て、「これはただものじゃない」と、”皇帝”が”帝王”を生み出した喜びを興した口ぶりで話したシーンを、当時は競馬雑誌の編集者だった筆者はよく覚えている。