明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。第16回は東京五輪の新競技スポーツクライミングの女子複合で銅メダルを獲得し、現役を引退した野口啓代さん。彼女のキャリアは競技の歴史そのもの。第一人者に、スポーツクライミングの過去と未来、そして「体重管理のためではなく、体調の管理のため」という「食事」について話を訊いた。
◆ ◆ ◆
――野口さんがクライミングをはじめたのは11歳の時と伺いましたが、どのようなきっかけだったのか教えてください。
小学5年の時に家族旅行で行ったグアムのゲームセンターでクライミングをしたことがきっかけです。日本に帰ってからも続けて、小学6年の時から全日本のユース大会に出場するようになりました。
――その頃の日本の競技人口はどんなものでしたか?
本当にマイナースポーツで、私くらいの小学生の女の子なんて、まったくいないような時代でした。通っていたクライミングジムのおじさんの中に混ざって練習して、ユースの大会に行くと同世代の子に会えるのが楽かったですね。
――始めてからわずか1年でU-18の大会で優勝されています。当時の自分を振り返ると?
私は運動神経が良くなかったんですが、クライミングは最初から割と得意で、自分にも向いているスポーツがあるんだなと感じました。大会で優勝すると親に褒めてもらえたりするのがすごく嬉しくて、そういったことがモチベーションになっていました。
――中学生の時からユースの世界大会に出場し、高校生の時に日本チャンピオンにもなっています。世界で戦うようになると、日常生活もだいぶ変わったのでは?
そうですね。自分の行動範囲がすごく広がりました。初めてヨーロッパに行ったり、それこそ親がいない中で日本チームとして行動するようになり、高校生の頃には一人で海外にも行っていたんです。
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――野口さんがクライミングをはじめたのは11歳の時と伺いましたが、どのようなきっかけだったのか教えてください。
小学5年の時に家族旅行で行ったグアムのゲームセンターでクライミングをしたことがきっかけです。日本に帰ってからも続けて、小学6年の時から全日本のユース大会に出場するようになりました。
――その頃の日本の競技人口はどんなものでしたか?
本当にマイナースポーツで、私くらいの小学生の女の子なんて、まったくいないような時代でした。通っていたクライミングジムのおじさんの中に混ざって練習して、ユースの大会に行くと同世代の子に会えるのが楽かったですね。
――始めてからわずか1年でU-18の大会で優勝されています。当時の自分を振り返ると?
私は運動神経が良くなかったんですが、クライミングは最初から割と得意で、自分にも向いているスポーツがあるんだなと感じました。大会で優勝すると親に褒めてもらえたりするのがすごく嬉しくて、そういったことがモチベーションになっていました。
――中学生の時からユースの世界大会に出場し、高校生の時に日本チャンピオンにもなっています。世界で戦うようになると、日常生活もだいぶ変わったのでは?
そうですね。自分の行動範囲がすごく広がりました。初めてヨーロッパに行ったり、それこそ親がいない中で日本チームとして行動するようになり、高校生の頃には一人で海外にも行っていたんです。