格闘技・プロレス

引きこもりの15歳が単身プエルトリコへ!新日本の異端児に憧れたハイビスカスみぃが歩んだ夢の時間までの“20年”

萩原孝弘

2022.03.15

日本のプロレス界で異彩を放ったケンドー・カシン(左)に憧れを抱き、レスラー人生を歩み始めたハイビスカスみぃ(右)。彼女の人生はいかなるものだったのか。写真:萩原孝弘

「ずぅーと、あなたを探して、あなたを探して」

 アップテンポの登場曲に合わせ、ハイビスカスみぃは軽快に四角いリングに向かった。どこかソワソワした仕草で対戦相手を待つ彼女の目に写ったのは、「ファンの頃から好きで好きで、憧れて憧れた」ケンドー・カシンの姿。新宿FACEで行なわれた自らの20周年記念試合は、歌詞の通りに「あなたを見つけた」ステージと化した。

「カシンさんがいたからプロレスラーを目指しました」

 奈良県天理市の中学生だった少女は、「学校に通えなくなってしまったんです。いろいろありまして……」と不登校になった。そんな悶々とした日々に光を照らしてくれたのが、プロレス。何よりもケンドー・カシンの存在だった。

「中学生くらいの時代って、『ちょっと悪い人がカッコいい』みたいなところあるじゃないですか。不良に憧れちゃうみたいな。当時の新日本プロレスでは異端児と呼ばれていたカシンさんでしたが、普段悪いことばっかりしてるのに、ポンッて寄付とかしちゃったりするのがね、本当にかっこよかったです」

 しっかりとした強さと奇行とさえ例えられたパフォーマンス。そのなかに垣間見える人間味。カシンの持つギャップに、「なんだったら結婚したいと思ってましたよ! カシンさんは引きこもりのヒーローでした!」と、内向きだった少女の心は一転、外の世界へとベクトルが向けられるようになった。

 抑えられないパッションを両親に告白した。しかし、「『学校に行けてない人間がレスラーになれると思ってるんか?』って正論を言われました。だから勉強はわからない、友だちもあまりいなかったけど、とにかく一日も休まないで通い続けました」と夢のために己と戦い、そして"勝利"した。若干15歳、中学を卒業したばかりの少女が選んだ道は、なんとプエルトリコだった。

 2000年TAKAみちのくが設立した「KAIENTAI DOJO」の2期生としてプロレスラーを目指し、その身ひとつで日本を飛び出す決意を固めた。

 特段恵まれた体躯を持つわけでもない。最近まで不登校だった少女のぶっ飛んだ決断。当然、「父は反対していました」と語るハイビスカスみぃは、「もちろん私のことを考えて『せめて高校には行きなさい。それからでも遅くはない』と」と当時を振り返る。

「でも母が『目的もなく、ただ何となくで高校や大学に行く人が多いなかで、みゆき(本名)はプロレスラーになりたいっていう夢を持ってプエルトリコに行くんやから、お母さんそっちの方が何倍もステキやと思う』と言ってくれました」

 母の強力な後押しのおかげで、カリブ海行きは決定した。当事者もビックリするほどのアシストだった。

「でも今考えたらすごいなと。わたし自分の子どもがプエルトリコに行くなんて言い出しても、絶対に同じことは言えないです」
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