1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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K-1の「K」は、空手、キックボクシング、クンフーなどさまざまな打撃系格闘技の頭文字を表すと同時に“K-1のKはKOのK”とも言われる。それくらい、KOの迫力がファンを魅了したのだ。
そして名だたるK-1ファイターの中でも、最もKOの魅力を体現した選手がジェロム・レ・バンナ(フランス)だった。
欧州で頭角を現していたバンナがフランスから初参戦したのは、1995年3月。K-1 GRANDPRIX開幕戦ではムエタイのノックウィー・デービー(タイ)に苦戦したものの、決勝大会では初戦で佐竹雅昭、準決勝でマイク・ベルナルド(南アフリカ)を立て続けにKO。決勝ではピーター・アーツ(オランダ)に1回1分37秒でのKO負けを喫したが、初出場にして準優勝という結果には十分すぎるインパクトがあった。
その後、ボクシング参戦を経たバンナは、1999年にK-1史上に残る大仕事をやってのける。
この年の決勝大会の初戦で彼は因縁のアーツを激突。前年のGPで3連続KOによる3度目の優勝を飾っていたオランダ人戦士は、当時の格闘界で圧倒的な強さを誇っていたが、バンナはそんな猛者との対戦を望んだ。
そしてトーナメントの枠順を決する抽選会では、自らアーツを指名するなど強気ぶりが注目されるなかで、リングに上がると逆転のKO勝利を飾ったのである。
サウスポースタイルから繰り出すパンチは、“オランダの暴君”をも打ち抜いた。しかもハイキックでダウンを奪われてからの大逆転。K-1の魅力が詰まった一戦で、その評価を確固たるものとした。だが、続く準決勝ではアーネスト・ホースト(オランダ)に逆転KO負け。凄まじい強さと同時に脆さも併せ持つファイター。それがバンナだった。
2000年、フランシスコ・フィリォ(ブラジル)とのワンマッチでは、左ストレート一発で失神KO勝利。世紀の変わり目、大阪ドームで起きた衝撃的結末は、“千年に一度のKO劇”と呼ばれ、ファンを大いに熱狂させた。
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K-1の「K」は、空手、キックボクシング、クンフーなどさまざまな打撃系格闘技の頭文字を表すと同時に“K-1のKはKOのK”とも言われる。それくらい、KOの迫力がファンを魅了したのだ。
そして名だたるK-1ファイターの中でも、最もKOの魅力を体現した選手がジェロム・レ・バンナ(フランス)だった。
欧州で頭角を現していたバンナがフランスから初参戦したのは、1995年3月。K-1 GRANDPRIX開幕戦ではムエタイのノックウィー・デービー(タイ)に苦戦したものの、決勝大会では初戦で佐竹雅昭、準決勝でマイク・ベルナルド(南アフリカ)を立て続けにKO。決勝ではピーター・アーツ(オランダ)に1回1分37秒でのKO負けを喫したが、初出場にして準優勝という結果には十分すぎるインパクトがあった。
その後、ボクシング参戦を経たバンナは、1999年にK-1史上に残る大仕事をやってのける。
この年の決勝大会の初戦で彼は因縁のアーツを激突。前年のGPで3連続KOによる3度目の優勝を飾っていたオランダ人戦士は、当時の格闘界で圧倒的な強さを誇っていたが、バンナはそんな猛者との対戦を望んだ。
そしてトーナメントの枠順を決する抽選会では、自らアーツを指名するなど強気ぶりが注目されるなかで、リングに上がると逆転のKO勝利を飾ったのである。
サウスポースタイルから繰り出すパンチは、“オランダの暴君”をも打ち抜いた。しかもハイキックでダウンを奪われてからの大逆転。K-1の魅力が詰まった一戦で、その評価を確固たるものとした。だが、続く準決勝ではアーネスト・ホースト(オランダ)に逆転KO負け。凄まじい強さと同時に脆さも併せ持つファイター。それがバンナだった。
2000年、フランシスコ・フィリォ(ブラジル)とのワンマッチでは、左ストレート一発で失神KO勝利。世紀の変わり目、大阪ドームで起きた衝撃的結末は、“千年に一度のKO劇”と呼ばれ、ファンを大いに熱狂させた。