1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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1997年、高い人気を誇っていたK-1を席巻した言葉がある。“一撃”だ。
93年にスタートしたK-1は、97年にドームツアーを開催。その幕開けとなった7月の名古屋大会でメインイベントに登場したのは、前年度GP優勝者のアンディ・フグ(スイス)。そして対戦相手となった初参戦のフランシスコ・フィリォ(ブラジル)。極真空手からの出場だった。
フィリォが空手界で、その名を知られるきっかけになったのが、91年の極真世界大会(東京)でのアンディとの試合だった。当時、トップ選手のアンディを上段回し蹴りで失神させたのだ。
フィリォはその後、百人組手を完遂すると、初開催の世界ウェイト制大会で優勝。そして新たなチャレンジとして、K-1に乗り込んできた。
極真空手は素手による顔面へのパンチが禁止されている。一方でK-1はグローブを着けて顔面パンチが有効となっている。ルールが大きく違うだけに、フィリォにも対応に時間がかかると少なからず不安はあった。
だが、だからこそ、彼は眼前に立ちはだかった相手に対して神経を研ぎ澄ませていた。緊張感漂うなか、開始2分30秒でアンディの動きに反応したフィリォは右フックを一閃。瞬間的な攻防で衝撃的なKO勝利を収めたのだ。これが“一撃”がK-1界を席巻するキッカケとなった。
空手に続き、K-1でもアンディを打ちのめしたフィリォ。しかも再びのKO、それもあまりにも劇的かつ歴史に残るインパクトを残したブラジル人は、その後、1999年に極真世界大会(無差別)でも優勝を果たす。それまで常に開催国の日本代表が王座を守っていたが、初の外国勢王者となったのだ。
もっとも、そこに違和感などなかった。出身がどこであれ、フィリォは誰よりも強く、K-1での“一撃”旋風で極真の強さを世に広めたのは、間違いない事実だった。
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1997年、高い人気を誇っていたK-1を席巻した言葉がある。“一撃”だ。
93年にスタートしたK-1は、97年にドームツアーを開催。その幕開けとなった7月の名古屋大会でメインイベントに登場したのは、前年度GP優勝者のアンディ・フグ(スイス)。そして対戦相手となった初参戦のフランシスコ・フィリォ(ブラジル)。極真空手からの出場だった。
フィリォが空手界で、その名を知られるきっかけになったのが、91年の極真世界大会(東京)でのアンディとの試合だった。当時、トップ選手のアンディを上段回し蹴りで失神させたのだ。
フィリォはその後、百人組手を完遂すると、初開催の世界ウェイト制大会で優勝。そして新たなチャレンジとして、K-1に乗り込んできた。
極真空手は素手による顔面へのパンチが禁止されている。一方でK-1はグローブを着けて顔面パンチが有効となっている。ルールが大きく違うだけに、フィリォにも対応に時間がかかると少なからず不安はあった。
だが、だからこそ、彼は眼前に立ちはだかった相手に対して神経を研ぎ澄ませていた。緊張感漂うなか、開始2分30秒でアンディの動きに反応したフィリォは右フックを一閃。瞬間的な攻防で衝撃的なKO勝利を収めたのだ。これが“一撃”がK-1界を席巻するキッカケとなった。
空手に続き、K-1でもアンディを打ちのめしたフィリォ。しかも再びのKO、それもあまりにも劇的かつ歴史に残るインパクトを残したブラジル人は、その後、1999年に極真世界大会(無差別)でも優勝を果たす。それまで常に開催国の日本代表が王座を守っていたが、初の外国勢王者となったのだ。
もっとも、そこに違和感などなかった。出身がどこであれ、フィリォは誰よりも強く、K-1での“一撃”旋風で極真の強さを世に広めたのは、間違いない事実だった。