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【名馬列伝】“鬼才”田原成貴とマヤノトップガンが織り成した2つの伝説! 三冠馬とのマッチレースと三強対決<後編>

三好達彦

2022.08.15

97年の天皇賞・春で三強対決を制したマヤノトップガン。今でも語り草となる伝説のレースだ。写真:産経新聞社

 古馬になったマヤノトップガンには、二つのレジェンダリーなレースがあった。

 それは4歳初戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)と、結果的に現役最後のレースとなった5歳時の天皇賞・春(GⅠ、京都・芝3200m)である。

 3歳にしてJRA賞の年度代表馬に輝いたマヤノトップガンは冬季を休養に充て、1996年3月の阪神大賞典から再スタートを切る。これが想像もしないかたちで壮絶なレースとなった。

【動画】ナリタブライアンとの一騎打ち! 天皇賞・春の三強対決をチェック

 このレースに出走したGⅠウィナーは2頭。マヤノトップガンと、股関節炎による休養から復帰して以降は不調をかこっていたとはいえ、三冠馬の威光がまだかろうじて残っていた1994年の年度代表馬ナリタブライアンという、同じブライアンズタイムを父に持つ2頭のみであった。

 有馬記念で頂点に立ったマヤノトップガンはファンの厚い支持を受けて単勝オッズ2.0倍で1番人気に推される。

 片やナリタブライアンは、主戦騎手の南井克巳が骨折で騎乗できなくなっており、武豊が初めて手綱をとることが決まって、ファンの注目度がグンと上昇。マヤノトップガンの後塵を拝したものの、単勝オッズ2.1倍の2番人気になった。

 ちなみに3番人気となったハギノリアルキングの単勝オッズの9.2倍という数字を見れば、いかに上位の2頭に注目と支持が集まっていたかが分かるだろう。つまり、マヤノトップガンとナリタブライアンによる"雌雄を決する対決"が期待されていたのである。

 土曜日に行われるGⅡ戦にもかかわらず、阪神競馬場にはGⅠ並みの約6万人ものファンが集まり、仁川は戦前から熱い空気に包まれていた。

 レースはスティールキャストの逃げで始まり、マヤノトップガンは4番手、ナリタブライアンを直前に見る5~6番手を追走。両馬はともに相手を意識しながらレースを進めていく。

 ペースは最初の1000mが63秒0というスローになり、各馬はいつスパートに入るかを計りながら、動くに動けない状態へと追い込まれていく。

 そうした緩い流れに終止符を打たんと仕掛けて出たのはマヤノトップガン。2周目の第3コーナーから外を通って位置を上げ、じわりと先頭に立つ。するとナリタブライアンもその動きに呼応するようにマヤノトップガンを追走。最終コーナーを2頭は馬体を併せて先頭で回り、ここから500mにわたる長い長い"マッチレース"がスタートする。
 
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