武豊に初めてダービー・ジョッキーの称号を贈った馬。
1990年代後半の競馬界をリードした1頭、スペシャルウィークに冠せられることが多いこのキャッチフレーズだが、彼はその枠に収まり切らない、奥深い血統的背景やストーリー性を持った馬だった。
父のサンデーサイレンスについては、もはや説明を必要としないだろう。現役時代にはケンタッキー・ダービー、ブリーダーズ・カップ・クラシックなど米国でG1を6勝する活躍を見せ、日本で種牡馬入りしてからはあらゆる記録を塗り替え、ディープインパクトなど名馬を多数送り出したスーパー・サイアーである。
一方、母方の血統に目を移すと、代々大切に育てられてきた、日本の馬産における有数の名牝系とされる”シラオキ系”に連なっている。
シラオキは、三冠馬セントライトを生産したことなどで知られる名門、小岩井農場(岩手県)で戦後すぐの1946年に生まれた。競走成績としては、勝利を収めた重賞こそ函館記念の一つだけだったが、優駿競走(日本ダービー)で2着、皐月賞で5着、優駿牝馬(オークス)で3着と、牡牝の垣根を越える活躍を見せ、48戦9勝の成績を残して51年に現役を引退する。
繁殖入りしてから数年は不受胎や流産を繰り返したシラオキだったが、1957年に第2仔となる牡駒を産む。これが素晴らしいスピードをもって皐月賞、日本ダービー、宝塚記念を制し、「超特急」のニックネームで呼ばれた名馬コダマであった。
また翌年58年の産駒シンツバメも皐月賞を制するなど、一気に評価を高めたシラオキは、その後の産んだ牝駒が繁殖馬として次々に活躍馬を出していき、“シラオキ系”と呼ばれるほどに枝葉を広げていく。
“シラオキ系”に連なる代表的な馬を挙げると、日本ダービーなどGⅠレースを7勝したウオッカを頂点に、マチカネフクキタル(菊花賞)、シスタートウショウ(桜花賞)など、様々なタイプの名馬を輩出している。
スペシャルウィークの母系は、4代母にシラオキを持つ古風な血統と言えるもので、純然たるアメリカ血統のサンデーサイレンスとの配合から名馬が生まれたことから、あたらめて“日本の在来血統”が注目を集めるきっかけとなった。
サンデーサイレンスの仔を受胎したキャンペンガールは、その後たびたび疝痛(腹部の痛み)を起こすなど、体調を崩しがちだった。なかなか収まらないため検査をしたところ、腸の一部が壊死していることが判明し、出産はおろか、自身の命さえ危険な状態だと診断される。牧場のスタッフは注意深く彼女を見守っていたが、出産間近になって激しい疝痛を起こしたため、促進剤の投与によってようやく出産に漕ぎ付けた。幸いにして生まれた仔、のちのスペシャルウィークは健康だったが、体力を消耗していたキャンペンガールからの授乳は叶わず、牧場に乳母として重種(ばん馬)が手配され、その乳によって育つことになる。そして母キャンペンガールは、出産からわずか5日後に命を落とした。
1990年代後半の競馬界をリードした1頭、スペシャルウィークに冠せられることが多いこのキャッチフレーズだが、彼はその枠に収まり切らない、奥深い血統的背景やストーリー性を持った馬だった。
父のサンデーサイレンスについては、もはや説明を必要としないだろう。現役時代にはケンタッキー・ダービー、ブリーダーズ・カップ・クラシックなど米国でG1を6勝する活躍を見せ、日本で種牡馬入りしてからはあらゆる記録を塗り替え、ディープインパクトなど名馬を多数送り出したスーパー・サイアーである。
一方、母方の血統に目を移すと、代々大切に育てられてきた、日本の馬産における有数の名牝系とされる”シラオキ系”に連なっている。
シラオキは、三冠馬セントライトを生産したことなどで知られる名門、小岩井農場(岩手県)で戦後すぐの1946年に生まれた。競走成績としては、勝利を収めた重賞こそ函館記念の一つだけだったが、優駿競走(日本ダービー)で2着、皐月賞で5着、優駿牝馬(オークス)で3着と、牡牝の垣根を越える活躍を見せ、48戦9勝の成績を残して51年に現役を引退する。
繁殖入りしてから数年は不受胎や流産を繰り返したシラオキだったが、1957年に第2仔となる牡駒を産む。これが素晴らしいスピードをもって皐月賞、日本ダービー、宝塚記念を制し、「超特急」のニックネームで呼ばれた名馬コダマであった。
また翌年58年の産駒シンツバメも皐月賞を制するなど、一気に評価を高めたシラオキは、その後の産んだ牝駒が繁殖馬として次々に活躍馬を出していき、“シラオキ系”と呼ばれるほどに枝葉を広げていく。
“シラオキ系”に連なる代表的な馬を挙げると、日本ダービーなどGⅠレースを7勝したウオッカを頂点に、マチカネフクキタル(菊花賞)、シスタートウショウ(桜花賞)など、様々なタイプの名馬を輩出している。
スペシャルウィークの母系は、4代母にシラオキを持つ古風な血統と言えるもので、純然たるアメリカ血統のサンデーサイレンスとの配合から名馬が生まれたことから、あたらめて“日本の在来血統”が注目を集めるきっかけとなった。
サンデーサイレンスの仔を受胎したキャンペンガールは、その後たびたび疝痛(腹部の痛み)を起こすなど、体調を崩しがちだった。なかなか収まらないため検査をしたところ、腸の一部が壊死していることが判明し、出産はおろか、自身の命さえ危険な状態だと診断される。牧場のスタッフは注意深く彼女を見守っていたが、出産間近になって激しい疝痛を起こしたため、促進剤の投与によってようやく出産に漕ぎ付けた。幸いにして生まれた仔、のちのスペシャルウィークは健康だったが、体力を消耗していたキャンペンガールからの授乳は叶わず、牧場に乳母として重種(ばん馬)が手配され、その乳によって育つことになる。そして母キャンペンガールは、出産からわずか5日後に命を落とした。