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【名馬列伝】11度目の挑戦で悲願のGⅠを掴んだ世界的良血馬キングヘイローの長き苦闘と栄光

三好達彦

2022.09.26

00年高松宮記念でクビ差の僅差で悲願のGⅠを制したキングヘイロー。調教師の坂口正大師は人目もはばからず涙した。写真:産経新聞社

00年高松宮記念でクビ差の僅差で悲願のGⅠを制したキングヘイロー。調教師の坂口正大師は人目もはばからず涙した。写真:産経新聞社

 日本競馬史上において、最良、最高といっても過言ではない血統背景をもって生を受けた選りすぐりのサラブレッドがいた。1995年に北海道・新冠町で生まれたキングヘイローである。

 母グッバイヘイローは、父にサンデーサイレンスを出したことでも知られるヘイロー(Halo)を持ち、ケンタッキーオークスをはじめ、米国のダートG1を7勝した名牝。欧米では現役馬、繁殖馬ともに売買が盛んであるが、このグッバイヘイローも現役を引退するとキーンランド繁殖セールに上場され、日本人エージェントによって210万㌦で落札される。日本経済がバブルのさなかにあったとはいえ、繁殖牝馬を2億円以上の価格で購買することに当時でも驚きをもって迎えられ、米国の競馬専門紙にもグッバイヘイローが日本へ輸出されるのを惜しむ記事が掲載されたという。

 父ダンシングブレーヴは、1980年代の欧州で最強と謳われた名馬で、86年にはカルティエ賞(日本のJRA賞にあたる)で年度代表馬に選出されている。歴戦の中でもその凄まじいまでの強さで語り草になっているのは86年の凱旋門賞(仏G1、ロンシャン・芝2400m)。最後の直線へ向いてもまだ12~13番手を進んでいた彼は、馬群の外へ持ち出され驚異的な末脚を繰り出すと、まとめて前を行く馬たちをごぼう抜きにし、2着に1馬身半の差をつけて圧勝して、全世界のホースマンを唖然とさせた。

 引退後、ダンシングブレーヴは当時の為替レートで総額約33億円ともいわれるシンジケートが組まれて種牡馬入りした。ところが翌年、マリー病という不治の奇病に罹患。生命は維持できたが、初年度産駒から活躍馬が出なかったことも重なり、シンジケートは売却に踏み切ることにした。その情報を得て手を挙げたのがJRAで、万全の療養体制をもってすれば種牡馬生活の続行は可能だと判断してリーズナブルな価格で購入。その後、日本軽種馬協会へ寄贈して、北海道の静内種馬場で供用されることになった。
 
 結果的に、この売買は英国の関係者を歯噛みさせることになる。

 日本へ輸出したあと、英国に残してきた産駒のなかからコマンダーインチーフ(英ダービー)、ホワイトマズル(伊ダービー)など、活躍馬が続出したのである。
 
 マリー病のために体調が不安定で、決して順調とは言えない暮らしの中、担当医師やスタッフによる全力のケアの甲斐あって、ダンシングブレーヴは種付頭数を制限しながらも種牡馬生活を続けることができた。その時代の米国でトップ戦線を走っていたグッバイヘイローと、欧州最強馬と呼ばれたダンシングブレーヴが遠く極東の日本で結ばれる奇跡。そのもとに生まれたのがキングヘイローだったのである。
 
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