何がどこでつながってくるかは予想がつかないものである。目下、開催中のカタール・ワールドカップの解説での独自分析と饒舌な喋りで、時の人になった本田圭佑が今大会でアフリカ勢初のベスト4に食い込む快進撃を見せたモロッコに絡めてこんなツイートをした。
「モロッコといえばバダハリ。モロッコ人の身体能力はエゲツない」
この投稿に思わず「懐かしい」と思った人も多いだろう。バダ・ハリは00年代の格闘技界において、いろいろな意味で"大暴れ"したキックボクサーだ。
身長198cm、114キロという自慢の体躯に加え、長い手足を利した大胆な攻撃を繰り出すアグレッシブな選手として知られたバダ・ハリは、日本でも愛されるカリスマだった。2005年11月に開催されたK-1 WORLD GPファイナルのリザーブマッチで初出場を飾ると、5か月前に敗れていたステファン"ブリッツ"レコ(ドイツ)に豪快なバックスピンキックでリベンジした。
【動画】日本列島を沸かせた「悪童」バダ・ハリ。豪快なKOシーンをチェック
この衝撃的なKO勝利一発で、バダ・ハリはファンの心を鷲掴みにした。K-1ヘビー級王座(トーナメントではないワンマッチの王座)も獲得した"悪魔王子"は、2009年にオランダで実現した"絶対王者"セーム・シュルト(オランダ)戦では、渾身の右フックで秒殺KO。華々しく、インパクト絶大の試合運びを見せた。
一方でアグレッシブであるがゆえに、手痛い敗北を喫する試合も少なくなかった。会見や試合後のコメントも一切の遠慮なしで、乱闘騒ぎもたびたび起こしている。それどころか2008年のK-1 WORLD GP決勝戦では、倒れたレミー・ボンヤスキー(オランダ)にパンチを連打。踏み付けまで見舞って反則負けになった。K-1における年間最大にして、最高のシチュエーションでこれをやってしまうのが、「バッドボーイ」や「悪魔王子」「K-1の問題児」とさまざまな異名を授かったバダ・ハリという男だった。
プライベートでも数々の問題(警察沙汰)も起こしたバダ・ハリは、リングに上がっても最高のファイターの姿を見せる時もあれば、荒れに荒れ傍若無人に振る舞いもした。気分が乗らなければ試合には出ないという時もあった。ファイターとしての才能は傑出し、特大の可能性を有していた。しかし、彼はそれを使い切れなかった感がやはり否めない。
それでもバダ・ハリは旧体制のK-1が活動を終えてからも試合に出続け、リングでの闘いを辞めはしなかった。そして、今年10月にはGLORYのリングで"宿敵"アリスター・オーフレイム(オランダ)と3度目の対戦を行ない、惜しくも判定負け。試合後には引退を示唆する発言をし、世間を賑わせていた。
そんな時に本田が名前を出したのだ。もちろんモロッコの躍進がなければ語られなかったであろう偶然ではあったが驚いた。それと同時にバダ・ハリが良くも悪くも、記憶に残る選手だったのだと感じられる瞬間でもあった。
取材・文●橋本宗洋
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「モロッコといえばバダハリ。モロッコ人の身体能力はエゲツない」
この投稿に思わず「懐かしい」と思った人も多いだろう。バダ・ハリは00年代の格闘技界において、いろいろな意味で"大暴れ"したキックボクサーだ。
身長198cm、114キロという自慢の体躯に加え、長い手足を利した大胆な攻撃を繰り出すアグレッシブな選手として知られたバダ・ハリは、日本でも愛されるカリスマだった。2005年11月に開催されたK-1 WORLD GPファイナルのリザーブマッチで初出場を飾ると、5か月前に敗れていたステファン"ブリッツ"レコ(ドイツ)に豪快なバックスピンキックでリベンジした。
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この衝撃的なKO勝利一発で、バダ・ハリはファンの心を鷲掴みにした。K-1ヘビー級王座(トーナメントではないワンマッチの王座)も獲得した"悪魔王子"は、2009年にオランダで実現した"絶対王者"セーム・シュルト(オランダ)戦では、渾身の右フックで秒殺KO。華々しく、インパクト絶大の試合運びを見せた。
一方でアグレッシブであるがゆえに、手痛い敗北を喫する試合も少なくなかった。会見や試合後のコメントも一切の遠慮なしで、乱闘騒ぎもたびたび起こしている。それどころか2008年のK-1 WORLD GP決勝戦では、倒れたレミー・ボンヤスキー(オランダ)にパンチを連打。踏み付けまで見舞って反則負けになった。K-1における年間最大にして、最高のシチュエーションでこれをやってしまうのが、「バッドボーイ」や「悪魔王子」「K-1の問題児」とさまざまな異名を授かったバダ・ハリという男だった。
プライベートでも数々の問題(警察沙汰)も起こしたバダ・ハリは、リングに上がっても最高のファイターの姿を見せる時もあれば、荒れに荒れ傍若無人に振る舞いもした。気分が乗らなければ試合には出ないという時もあった。ファイターとしての才能は傑出し、特大の可能性を有していた。しかし、彼はそれを使い切れなかった感がやはり否めない。
それでもバダ・ハリは旧体制のK-1が活動を終えてからも試合に出続け、リングでの闘いを辞めはしなかった。そして、今年10月にはGLORYのリングで"宿敵"アリスター・オーフレイム(オランダ)と3度目の対戦を行ない、惜しくも判定負け。試合後には引退を示唆する発言をし、世間を賑わせていた。
そんな時に本田が名前を出したのだ。もちろんモロッコの躍進がなければ語られなかったであろう偶然ではあったが驚いた。それと同時にバダ・ハリが良くも悪くも、記憶に残る選手だったのだと感じられる瞬間でもあった。
取材・文●橋本宗洋
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