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格闘技・プロレス

忘れがたき“モンスター路線”で輝いたチェ・ホンマン。扱いに疑問が残る「韓流大巨人」が違う時代にいたら――【K-1名戦士列伝】

THE DIGEST編集部

2023.04.03

元メジャーリーガーのカンセコと繰り広げた“異種格闘技戦”はお茶の間を沸かせた。チェ・ホンマンはこうした話題優先のマッチアップで起用され、そして輝いた。(C)Getty Images

元メジャーリーガーのカンセコと繰り広げた“異種格闘技戦”はお茶の間を沸かせた。チェ・ホンマンはこうした話題優先のマッチアップで起用され、そして輝いた。(C)Getty Images

 かつてK-1には“モンスター路線”と呼ばれる選手起用とマッチメイクがあった。

 体躯のデカさ、見た目のインパクト、経歴の話題性優先。正統派ファイターたちが強さを競い合う“競技”とはまた違うあり方と言えば伝わるだろうか。

 K-1は地上波でも中継され、大晦日の一大コンテンツにもなった。だからこそ、世間一般の話題になる選手、マッチメイクも必要だったのだ。そんな“モンスター路線”の代表格は、もちろんボブ・サップ(アメリカ)。そして、大衆を沸かせた“野獣”に並ぶ話題性を誇ったのが、「韓流大巨人」の愛称を授かっていたチェ・ホンマン(韓国)だった。

 身長218cm、韓国相撲「シルム」で横綱にあたる「天下壮士」になるなど活躍したチェ・ホンマンは所属チームの解散後、2004年にK-1参戦を果たす。そして、デビュー戦のK-1韓国大会ではアジアトーナメント優勝。1回戦で若翔洋、準決勝では曙に勝利。まぁ、そういうトーナメントの組み合わせだったわけである。

 その後も、2005年にサンボの技術も有していたプロレスラーのトム・ハワード(アメリカ)と対戦すれば、急転直下でボブ・サップとの試合が組まれたり(判定勝ち)と、チェ・ホンマンは話題に事欠かなかった。曙とは実に3度も闘っている。

 かと、思えばセーム・シュルト、レミー・ボンヤスキー(いずれもオランダ)、ジェロム・レ・バンナといったK-1のトップファイターとも対戦。だが、さすがにこうした歴戦の猛者とのマッチメイクでは分が悪く、実力不足を露呈した。
 
 K-1という新たな舞台で、その巨躯を活かしつつ活躍したチェ・ホンマン。だが“モンスター路線”か、トップファイターとの対戦かという扱われ方で、ポテンシャルを伸ばしきれたかというと疑問が残る。

 総合格闘技にも進出したが、初戦でこそボビー・オロゴン(ナイジェリア)にTKO勝ちを収めたものの、MMA界の「皇帝」エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)と打ち合った2戦目、そして、「ターミネーター」の異名で称えられたミルコ・クロコップ(クロアチア)との3戦目は敗戦。話題優先のマッチメイクが目立ち、黒星を重ねた。

 2009年には元メジャーリーガー(比喩ではなく元野球選手)のホセ・カンセコ(アメリカ)とも闘った。DREAMの「スーパーハルクトーナメント」という、異色選手と巨漢選手を集めた企画だった。いかにも、当時の“TBS格闘技”らしいイベントだ。

 チェ・ホンマンがもし、谷川貞治プロデューサー時代のK-1とは違う時代、違う舞台で立ち技なり、総合なりに挑戦していたら、いったいどうなっていただろうか。あるいは、彼はあくまで時代を象徴する選手なのか。ともあれK-1を振り返る時には“モンスター路線”も忘れずにいたい。

取材・文●橋本宗洋

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