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【名馬列伝】最強牝馬の称号を手に入れていた女傑ヒシアマゾン。「まるで“ワープ”した」と驚嘆した伝説の鬼脚

THE DIGEST編集部

2024.02.04

異次元の豪脚で牡馬をも蹴散らしたヒシアマゾン。最強牝馬として今も語り継がれている。写真:産経新聞社

 エアグルーヴの天皇賞(秋)制覇に端を発する「牝馬の時代」が始まるのが、1995年のこと。それに先駆けて、牡馬を相手にしながら互角以上の戦いを続けた"女傑"がアメリカ生まれの外国産馬、ヒシアマゾンである。

 父はブリーダーズカップ・ターフなど米国の芝戦線でGⅠを6勝し、種牡馬としても愛ダービーを制したザグレブ(Zagreb)など多数のG1ウィナーを輩出したシアトリカル(Theatrical)。母ケイティーズ(Katies/父ノノアルコ)は愛1000ギニー(G1)などを制した名牝で、父・安倍雅信の時代から『ヒシ』の冠号で知られたファミリーオーナーである阿部家の子息、阿部雅一郎によって1989年、米国ファシグティプトン社が開く繁殖牝馬セールにおいて100万ドルという高額で落札された(当時、名馬にして名種牡馬のアリダー⦅Alydar⦆を受胎していた)。

 しかし、ケイティーズは日本へ輸入はされず、のちにヒシアマゾンを管理することになる調教師・中野隆良のアドバイスを受けて米国ケンタッキー州にある名門牧場のテイラーメイドファームに預けられ、そこで繁殖生活を続けた。

 1991年、米国でケイティーズが産み落とした父シアトリカルの牝馬がのちのヒシアマゾンで、彼女は初期調教を終えたのち日本に輸入され(生産者の名義は「Masaichiro Abe」)、縦横無尽な活躍を見せることになる。預託されたのはもちろん安倍の盟友である中野隆良厩舎だった。

 名前に「アマゾン」という言葉が用いられた正確な意味ははかりかねるが、一般的には中世のトルコを中心に存在し、トロイア戦争でも活躍したとされる最強の女性戦士たちの呼び名である。JRAの公式では「古代ギリシャ伝説に登場する勇猛果敢な女武将で名高い部族の名前」と記されている。
 
 ヒシアマゾンは全20戦中18戦で手綱を取ることになる中舘英二とのコンビで臨んだ2歳9月の新馬戦(中山・ダート1200m)を辛勝すると、次走のプラタナス賞(500万下、東京・ダート1400m)、初芝となる京成杯3歳ステークス(GⅡ、東京・芝1400m)を連続2着と健闘した。

 続く阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ、阪神・芝1600m/現・阪神ジュベナイルフィリーズ)は重賞ウィナーが顔を揃えるなか、単勝オッズ5.2倍の2番人気という高い支持を受けて臨んだ。

 レースは驚愕の内容となる。ヒシアマゾンは逃げたシアトルフェアーを先に行かせて3番手を追走。絶好の手応えで直線へ向くと瞬時にして先頭に躍り出て、あとは後続との差を開くばかりのワンサイドゲームを展開。ゴールでは2着のローブモンタントに5馬身もの差を付けて圧勝を飾った。

 そしてヒシアマゾンは文句なしの投票結果で、1993年度のJRA賞最優秀3歳牝馬(現・2歳牝馬)に選出され、世代の頂点に立った。
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「伝説のレース」と呼ばれたクリスタルC