――高校卒業と同時にプロ入りされましたが、他の選手との体力や身体能力の差というのは感じられましたか?
「かなり感じましたね。18歳の時、僕は身長が177cmくらいで、体重が65kg。細かったですし、体力がなかったので、他の選手についていけなかったことを覚えています。
しかし、プロでは栄養士さんがついてくれるので、食事がすごく充実していました。僕はプロ入り後6年間寮に入っていて、朝食と夕食は寮で食べていました。二軍にいた時も、昼食は試合前に炭水化物やタンパク質、食物繊維などが取れるように工夫されていて、毎食の食事が充実していたので、プロ野球選手になってから食事がすごく変わって、身体もかなり変わっていきましたね」
――特に凄いと思った選手はいましたか?
「当時凄いなと思ったのが、2004年に三冠王を取る松中(信彦)選手。身体も大きくて打球も飛ばして、足も速くて。『怪物じゃないか』って正直思いました」
――同じ時代には小久保裕紀選手なども在籍されていました。
「小久保選手もすごかったです。特に肩幅がガッシリしていて衝撃だったのを覚えてますね」
――川﨑選手は栄養についてもこだわりがあると伺いましたが、やはり、栄養学や人体のことについてはご自分でも勉強されましたか?
「しました。栄養士の先生といつもコミュニケーションをとったり、食堂に貼り付けられていたいろいろな資料を見て勉強しました。僕だけでなく他の選手もみんなそれぞれで勉強していましたね。
キャンプのときにミーティングをすることも毎年ありました。必ず栄養士の先生がついてきてくれるので、その先生ともコミュニケーションを取りながら、『こういうものを食べた方がいい』や『夏はこういうものを取った方がいい』というような話をよくしていました」
「かなり感じましたね。18歳の時、僕は身長が177cmくらいで、体重が65kg。細かったですし、体力がなかったので、他の選手についていけなかったことを覚えています。
しかし、プロでは栄養士さんがついてくれるので、食事がすごく充実していました。僕はプロ入り後6年間寮に入っていて、朝食と夕食は寮で食べていました。二軍にいた時も、昼食は試合前に炭水化物やタンパク質、食物繊維などが取れるように工夫されていて、毎食の食事が充実していたので、プロ野球選手になってから食事がすごく変わって、身体もかなり変わっていきましたね」
――特に凄いと思った選手はいましたか?
「当時凄いなと思ったのが、2004年に三冠王を取る松中(信彦)選手。身体も大きくて打球も飛ばして、足も速くて。『怪物じゃないか』って正直思いました」
――同じ時代には小久保裕紀選手なども在籍されていました。
「小久保選手もすごかったです。特に肩幅がガッシリしていて衝撃だったのを覚えてますね」
――川﨑選手は栄養についてもこだわりがあると伺いましたが、やはり、栄養学や人体のことについてはご自分でも勉強されましたか?
「しました。栄養士の先生といつもコミュニケーションをとったり、食堂に貼り付けられていたいろいろな資料を見て勉強しました。僕だけでなく他の選手もみんなそれぞれで勉強していましたね。
キャンプのときにミーティングをすることも毎年ありました。必ず栄養士の先生がついてきてくれるので、その先生ともコミュニケーションを取りながら、『こういうものを食べた方がいい』や『夏はこういうものを取った方がいい』というような話をよくしていました」