2006年大晦日にジャクソン・ペイジとの試合を終えると引退を表明。20代での決意は、活躍度合いと比べるとあまりにも早く感じられた。しかし肉体的にはギリギリのところだったようだ。付け加えれば、その才能が同じ場所にいることを許さなかったのかもしれない。
引退後の活動は、多岐にわたった。拓殖大学レスリング部の監督に就任すると最優秀監督賞に輝き、学生チームの日本代表監督に。その間にはパフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成した。
そして2019年には、参議院議員選挙に出馬すると当選を果たすと、現在は「格闘技振興議員連盟」に属し、コロナ禍での外国人選手来日をサポートするなど、“古巣”であるマット界にも貢献中だ。
驚くほどに幅広い活動範囲。それは自身の才能が求めたものだったのだろう。現役時代に取材していた印象として、“請われても政治の世界には入り込まないクレバーさ”があると感じていたのだが、今はそんな須藤が政治に携わる必要を感じるくらい危機感を持っているということか。
もしも、彼の才能が限られたものであれば、もしかするとひとつ道を究めていたのかもしれない。それはレスリング、立ち技、MMA、どの道でも、だ。だがそうではなかったからこそ、須藤元気という存在は他の誰とも違う色で輝いた。
文●橋本宗洋
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そして2019年には、参議院議員選挙に出馬すると当選を果たすと、現在は「格闘技振興議員連盟」に属し、コロナ禍での外国人選手来日をサポートするなど、“古巣”であるマット界にも貢献中だ。
驚くほどに幅広い活動範囲。それは自身の才能が求めたものだったのだろう。現役時代に取材していた印象として、“請われても政治の世界には入り込まないクレバーさ”があると感じていたのだが、今はそんな須藤が政治に携わる必要を感じるくらい危機感を持っているということか。
もしも、彼の才能が限られたものであれば、もしかするとひとつ道を究めていたのかもしれない。それはレスリング、立ち技、MMA、どの道でも、だ。だがそうではなかったからこそ、須藤元気という存在は他の誰とも違う色で輝いた。
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