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【名馬列伝】JRA不世出の牝馬ウオッカ。“最高傑作”を生んだカントリー牧場の系譜<前編>

THE DIGEST編集部

2022.10.29

 その後もカントリー牧場が輩出した馬の活躍は続き、1970年にはタニノムーティエが皐月賞、日本ダービーの二冠を制し、その半弟であるタニノチカラが1973年の天皇賞(秋)、翌年の有馬記念を制して一世を風靡した。

 しかしその後、1972年に谷水信夫が事故で急死。その跡を継いでいた谷水雄三は、戸山為夫らの指導を仰ぎながら、様々な改革を断行する。長い年月の間に痩せていた土壌の改良に着手。増え過ぎた繁殖牝馬を徐々に絞り込んで、厳選した馬だけのために繁殖専用の分場を開設すると同時に、海外から新しい血の導入も行なった。

 手を打っても、結果が出るまでに相当な時間を要するのが競走馬生産の世界である。カントリー牧場も改革を断行したものの、タニノチカラの天皇賞制覇以来、長い間GⅠタイトルに見放されていた。そこへようやく生まれ立ったのが、谷水雄三が1973年に米国で購買したタニノシーバードを祖母(母の母)に持つタニノギムレットだった。
 
 2歳12月の未勝利戦から重賞二つを含む4連勝を記録したタニノギムレットは、2002年の皐月賞、NHKマイルカップで連続して3着。しかし、最大の目標として臨んだ日本ダービーでは後方から目の覚めるような末脚を繰り出し、シンボリクリスエスを差し切って優勝を果たし、カントリー牧場にダービー3勝という栄誉をもたらした。

 残念ながら秋シーズンを目の前にして屈腱炎を発症し、引退を余儀なくされたタニノギムレット。種牡馬としては期待されたほどの成功は収められなかったが、ただ一頭、日本競馬史上に輝く優駿を輩出した。日本ダービーを含むGⅠレース7勝を記録(牝馬としてはGⅠ最多)し、2008年・2009年と牝馬史上初の2年連続JRA年度代表馬に選出された不世出の名馬、ウオッカこそがその馬である。<中編に続く>

文●三好達彦

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