福永祐一には、ある強い思いがあった。父が果たせなかった日本ダービー制覇という夢を叶えることである。
順風満帆の滑り出しを見せた祐一は、翌年の秋、キングヘイローという良血馬と出会い、1998年のクラシック戦線に臨む。
一冠目の皐月賞で接戦の2着という結果を残したキングヘイローと福永。大望を抱いて2番人気で日本ダービーに出走したが、競馬場の異様なまでの盛り上がりにテンションが上がったキングヘイローを御し切れず、暴走気味に逃げを打つかたちになったため、直線で失速して14着に大敗。日本ダービーの壁の厚さを思い知らされた。
その後もキングヘイローの手綱を託されたものの勝利を挙げることができなかった福永は翌年、乗り替わりの憂き目に遭い、大きな挫折を味わった。
しかし、この悔しさを糧に福永は真のトップジョッキーへの道へ歩みを進める。
1999年にはプリモディーネで桜花賞に優勝し、初のGⅠ制覇を達成。その翌週に落馬事故で左腎臓摘出という大怪我を負ったが、約3カ月の治療とリハビリを経て7月には戦列に復帰し、年末にはエイシンプレストンで二つ目のGⅠタイトルを手に入れた。
2011年、2013年にはリーディングジョッキーに輝き、エピファネイア、ジャスタウェイなどの名馬とのコンビでGⅠタイトルを積み重ねてトップジョッキーの座を確たるものとした福永だったが、なかなか日本ダービーのタイトルには手が届かなかった。
「もう(日本ダービーは)勝てないんじゃないか」
そう思い始めたころ、1頭の駿馬と出会う。ディープインパクトの仔で、名をワグネリアンと言った。
デビューから3連勝してクラシック候補と呼ばれたワグネリアンだったが、3歳になってからは弥生賞(2着)、皐月賞(7着)と連敗を喫し、日本ダービーでは5番人気と評価を落としていた。
福永にとってキングヘイローで初騎乗を果たしてから19回目の挑戦となる日本ダービー。人気を落としてはいたが、皐月賞のあとに心身ともに充実してきたワグネリアンに確かな手応えを感じていた。
レースは激戦となった。直線で10頭以上が横に広がっての叩き合いになったが、中団を進んだワグネリアンは先に抜け出したエポカドーロを一完歩ずつ追い詰め、ゴール直前でそれを交わしてゴール。福永はデビューから23年、41歳にしてついに念願だった「ダービージョッキー」の呼称を手にした。
ファンの大歓声を受け、落涙しながら愛馬と引き揚げてきた福永。インタビュアーに「この勝利を洋一さんにどう伝えますか」と訊かれると、「いい報告ができると思います。きっと喜んでくれると。ダービーを勝つことは福永家の悲願だったので」と答え、ようやく笑顔を浮かべた。
その後、2020年にはコントレイルでクラシック三冠を制し、翌21年にはシャフリヤールで三度目となる日本ダービー制覇を成し遂げた福永。JRA通算勝利数は2600を突破し、GⅠレース(JpnⅠを含む)45勝という堂々たる成績を残し、来年3月からは調教師としてセカンドキャリアをスタートさせることになった。
その誠実さや常に進歩を目指してきた真摯な姿勢によってオーナーやトレーナーから大きな信頼を受けてきた“祐一ジョッキー”。手綱をとる姿が見られなくなるのは残念である一方、調教師としての活躍に期待は膨らむ。(文中一部敬称略)
文●三好達彦
【名馬列伝】11度目の挑戦で悲願のGⅠを掴んだ世界的良血馬キングヘイローの長き苦闘と栄光
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順風満帆の滑り出しを見せた祐一は、翌年の秋、キングヘイローという良血馬と出会い、1998年のクラシック戦線に臨む。
一冠目の皐月賞で接戦の2着という結果を残したキングヘイローと福永。大望を抱いて2番人気で日本ダービーに出走したが、競馬場の異様なまでの盛り上がりにテンションが上がったキングヘイローを御し切れず、暴走気味に逃げを打つかたちになったため、直線で失速して14着に大敗。日本ダービーの壁の厚さを思い知らされた。
その後もキングヘイローの手綱を託されたものの勝利を挙げることができなかった福永は翌年、乗り替わりの憂き目に遭い、大きな挫折を味わった。
しかし、この悔しさを糧に福永は真のトップジョッキーへの道へ歩みを進める。
1999年にはプリモディーネで桜花賞に優勝し、初のGⅠ制覇を達成。その翌週に落馬事故で左腎臓摘出という大怪我を負ったが、約3カ月の治療とリハビリを経て7月には戦列に復帰し、年末にはエイシンプレストンで二つ目のGⅠタイトルを手に入れた。
2011年、2013年にはリーディングジョッキーに輝き、エピファネイア、ジャスタウェイなどの名馬とのコンビでGⅠタイトルを積み重ねてトップジョッキーの座を確たるものとした福永だったが、なかなか日本ダービーのタイトルには手が届かなかった。
「もう(日本ダービーは)勝てないんじゃないか」
そう思い始めたころ、1頭の駿馬と出会う。ディープインパクトの仔で、名をワグネリアンと言った。
デビューから3連勝してクラシック候補と呼ばれたワグネリアンだったが、3歳になってからは弥生賞(2着)、皐月賞(7着)と連敗を喫し、日本ダービーでは5番人気と評価を落としていた。
福永にとってキングヘイローで初騎乗を果たしてから19回目の挑戦となる日本ダービー。人気を落としてはいたが、皐月賞のあとに心身ともに充実してきたワグネリアンに確かな手応えを感じていた。
レースは激戦となった。直線で10頭以上が横に広がっての叩き合いになったが、中団を進んだワグネリアンは先に抜け出したエポカドーロを一完歩ずつ追い詰め、ゴール直前でそれを交わしてゴール。福永はデビューから23年、41歳にしてついに念願だった「ダービージョッキー」の呼称を手にした。
ファンの大歓声を受け、落涙しながら愛馬と引き揚げてきた福永。インタビュアーに「この勝利を洋一さんにどう伝えますか」と訊かれると、「いい報告ができると思います。きっと喜んでくれると。ダービーを勝つことは福永家の悲願だったので」と答え、ようやく笑顔を浮かべた。
その後、2020年にはコントレイルでクラシック三冠を制し、翌21年にはシャフリヤールで三度目となる日本ダービー制覇を成し遂げた福永。JRA通算勝利数は2600を突破し、GⅠレース(JpnⅠを含む)45勝という堂々たる成績を残し、来年3月からは調教師としてセカンドキャリアをスタートさせることになった。
その誠実さや常に進歩を目指してきた真摯な姿勢によってオーナーやトレーナーから大きな信頼を受けてきた“祐一ジョッキー”。手綱をとる姿が見られなくなるのは残念である一方、調教師としての活躍に期待は膨らむ。(文中一部敬称略)
文●三好達彦
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