また、サップは一般層も含めた、いわゆる“お茶の間”の人気者にもなった。テレビ、ラジオに次々と出演し、2003年には「SAPP TIME」でCDデビューも飾った。プロレスでも2002年にプロレス大賞MVP、そして新日本プロレスのリングに立った2004年にはIWGPヘビー級タイトル獲得。とてつもない活躍ぶりだった。
ただ、2003年にミルコ・クロコップ(クロアチア)にKO負けを喫したあたりから、彼は徐々に弱々しい面も見せるようになっていく。立ち技では8連敗、総合では14連敗という泥沼にハマった。
そのキャリアにおいて最後の、そして最大の“花火”を打ち上げたのは2003年の大晦日だった。元横綱・曙のK-1デビュー戦の相手を務め、見事にKO勝ち。TBSでの中継は瞬間視聴率43%を記録し、紅白歌合戦を超えた。国立競技場進出、打倒・紅白。格闘技における2つの歴史的瞬間、サップはその立役者となったのだ。キャリアの終盤は醜態を晒したと言っていい彼だが、間違いなく格闘技ブームの象徴の1人だった。
K-1でマネージャーを務めた人物によると、メディア出演が忙しい時期には「これでは練習ができない」とボヤいていたそうだ。
練習に専念できる環境があり、キャラよりも実像が注目されていたら、彼のキャリアもまた違ったものになったのだろうか。あるいは“ブームの申し子”だからこそ記憶に残る存在になったのか。タラレバを語っても仕方ないが、サップがあまりにも特異な格闘技人生を送ったことは間違いない。
取材・文●橋本宗洋
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練習に専念できる環境があり、キャラよりも実像が注目されていたら、彼のキャリアもまた違ったものになったのだろうか。あるいは“ブームの申し子”だからこそ記憶に残る存在になったのか。タラレバを語っても仕方ないが、サップがあまりにも特異な格闘技人生を送ったことは間違いない。
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