1988年の初戦は3月の弥生賞(GⅡ、東京・芝2000m)。東の王者サクラチヨノオーを抑えて単勝オッズ1.6倍の1番人気に推されたサッカーボーイだったが、47秒3の最速上がりを記録したものの、絶妙なペースで逃げたサクラチヨノオーを捉えきれず、3番人気のトウショウマリオにも先着されて3着に終わる。
その後、幼いころから心配されていた蹄の弱さから飛節炎を起こしたため、皐月賞への出走を回避。目標を日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)に切り替えて、そのトライアルレースのNHK杯(GⅡ、東京・芝2000m)に新パートナーとなる河内洋を鞍上に迎えて参戦。しかし、ここでも終いの切れが鳴りを潜め、差のある4着に終わった。
そして、大目標とした日本ダービーでも単勝1番人気に推されたものの、後方で見せ場さえ作れず、勝ったサクラチヨノオーから1秒7差の15着に大敗。手綱をとった河内は「距離が長すぎるのかもしれない」と、その敗因を語っている。
いまの競馬シーンであれば、夏場を休養に充てるのが常識的な選択だろうが、陣営は強気に押せ押せでレースを使い続け、それが功を奏するのだから競馬は分からないものだ。
7月の中日スポーツ賞4歳ステークス(GⅢ、中京・芝1800m)に臨むと、皐月賞馬ヤエノムテキを半馬身差し切って優勝。復権のきっかけを掴むと、次は北海道へと渡り、古馬の強者と対戦すべく、函館記念(GⅢ、芝2000m)へと向かう。
メリーナイス、シリウスシンボリのダービー馬2頭、牝馬クラシック二冠のマックスビューティという強豪が顔を揃えたこの一戦で、単勝1番人気の支持を受けたサッカーボーイは、またも圧巻の強さを見せつける。
ゆったりとスタートを切った3歳の雄は向正面から徐々にポジションを押し上げると2番手で直線へ向く。ここからは、まさに『弾丸シュート』。あっという間に先頭へ躍り出ると、あとは後続を引き離すばかりで、ゴールでは2着のメリーナイスに5馬身もの差を付けて圧勝を飾ったのである。
走破タイムの1分57秒8は驚異的なもので、コースレコードを0秒8更新しただけでなく、サクラユタカオーが1986年の天皇賞・秋(GⅠ)で記録したJRAレコードも0秒5塗り替えてしまったのだ。このとき筆者は都内のウインズでテレビ中継を観ていたのだが、サッカーボーイが直線で独走態勢に入ると「うわぁ」「すげぇ」という唸り声でざわついた様子を覚えている。
その後、幼いころから心配されていた蹄の弱さから飛節炎を起こしたため、皐月賞への出走を回避。目標を日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)に切り替えて、そのトライアルレースのNHK杯(GⅡ、東京・芝2000m)に新パートナーとなる河内洋を鞍上に迎えて参戦。しかし、ここでも終いの切れが鳴りを潜め、差のある4着に終わった。
そして、大目標とした日本ダービーでも単勝1番人気に推されたものの、後方で見せ場さえ作れず、勝ったサクラチヨノオーから1秒7差の15着に大敗。手綱をとった河内は「距離が長すぎるのかもしれない」と、その敗因を語っている。
いまの競馬シーンであれば、夏場を休養に充てるのが常識的な選択だろうが、陣営は強気に押せ押せでレースを使い続け、それが功を奏するのだから競馬は分からないものだ。
7月の中日スポーツ賞4歳ステークス(GⅢ、中京・芝1800m)に臨むと、皐月賞馬ヤエノムテキを半馬身差し切って優勝。復権のきっかけを掴むと、次は北海道へと渡り、古馬の強者と対戦すべく、函館記念(GⅢ、芝2000m)へと向かう。
メリーナイス、シリウスシンボリのダービー馬2頭、牝馬クラシック二冠のマックスビューティという強豪が顔を揃えたこの一戦で、単勝1番人気の支持を受けたサッカーボーイは、またも圧巻の強さを見せつける。
ゆったりとスタートを切った3歳の雄は向正面から徐々にポジションを押し上げると2番手で直線へ向く。ここからは、まさに『弾丸シュート』。あっという間に先頭へ躍り出ると、あとは後続を引き離すばかりで、ゴールでは2着のメリーナイスに5馬身もの差を付けて圧勝を飾ったのである。
走破タイムの1分57秒8は驚異的なもので、コースレコードを0秒8更新しただけでなく、サクラユタカオーが1986年の天皇賞・秋(GⅠ)で記録したJRAレコードも0秒5塗り替えてしまったのだ。このとき筆者は都内のウインズでテレビ中継を観ていたのだが、サッカーボーイが直線で独走態勢に入ると「うわぁ」「すげぇ」という唸り声でざわついた様子を覚えている。