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【名馬列伝】大差で突き放す異次元の強さ。“持込馬”であるマルゼンスキーが『史上最強』と主張される理由

三好達彦

2023.07.24

 日本へと輸入されたシルは1974年5月19日、鹿毛の牡馬を出産した。しかし、産駒の誕生を心待ちにし、東京から駆け付けた調教師の本郷は一見して表情を曇らせた。前肢が「外向」していたからである。「外向」とは、文字通りに肢が外へと曲がっている状態を指す言葉で、本馬の場合は膝下からの外向がかなり目立った。

 肢が外向(もしくは内向)している場合、調教や競走で負荷がかかると故障につながりやすく、程度によっては競走馬に適さないと判断されるケースもある。幸いにしてマルゼンスキーの外向はそこまで酷くはなかったが、それでも調教を加減しながらどこまでもつか、という状態だったと伝えられている。

 橋本の牧場の屋号「マルゼン」と父ニジンスキーの「スキー」と合わせてマルゼンスキーと名付けられた牡馬は、2歳の10月に中山・芝1200mの新馬戦で恐るべき能力を見せた。足元の具合を見ながら、本郷が「せいぜい6~7分の仕上げ」と語る状態で出走したにもかかわらず、スタートから他馬とは桁違いのスピードを見せ、2着を大差(タイム差で2秒0)でぶっちぎってしまったのだ。

 次走の芝1200mのいちょう特別(300万下、現・1勝クラス)も新馬戦と同様にスピードの違いで先頭に立つと、後続に9馬身差をつけて逃げ切りで勝利。走破タイムの1分10秒5は、同年のスプリンターズステークスと同じだった。
 
 マルゼンスキーの評判はあっという間に競馬サークルのみならず、ファンの間にも広がった。当時、子どもたちの間で「スーパーカー」のブームがあった。フェラリーやポルシェはもちろん、ランボルギーニ、ロータスなど、意匠に凝って、なおかつ大排気量エンジンを積んだ欧州車への憧れが、まるで戦隊モノのヒーロー、ヒロインを崇めるように子どもたちに人気が広がっていたのである。

 マルゼンスキーは、そうした外国生産車(当時は「外車」と呼んだ)のハイスペックな仕様になぞらえて、「(サラブレッド界の)スーパーカー」と称されるようにもなった。次走の府中3歳ステークスは、マルゼンスキーが突然走るのを止めるような素振りを見せて失速。猛追したヒシスピードとの競り合いになったが、ハナ差で勝利した。

 しかし、彼の全戦で手綱をとった中野渡清一は「おれの油断で負けたら、おれは降ろされるかも」と焦ったと言うが、動画を見る限りマルゼンスキーはヒシスピードを絶対に抜かせないよう、まるで相手をもて遊ぶような余裕さえ感じる走りを見せている。
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