毎日王冠の激闘が尾を引いたわけではないだろうが、その後のイナリワンは、秋の天皇賞(GⅠ)が6着(スーパークリークが1着、オグリキャップが2着)、ジャパンカップ(GⅠ)が11着(オグリキャップが2着、スーパークリークが4着)と振るわなかった。なかには「三強」ではなく「二強」ではないかという厳しい声も聞かれた。しかし、野武士は終わっていなかった。年末の大一番で再びファンを驚かせることになる。
良馬場ながら、そぼ降る雨のなか煌々とライトが照らされた暮れの中山競馬場、有馬記念(GⅠ)。単枠指定となったオグリキャップとスーパークリークは、前者がオッズ1.8倍の1番人気、後者がオッズ3.1倍の2番人気に推され、大敗後のイナリワンはオッズ16.7倍の4番人気に甘んじた。
レースはかなりのハイペースで進んだ。ダイナカーペンターが逃げるところ、オグリキャップとスーパークリークは2~3番手を積極的に追走。お互いに「先は譲れない」とばかりに我を張り合った先行策をとったためペースが緩むところがなく、1000mの通過は推定で59秒台の前半に。イナリワンは前半戦を後方12番手付近で急流をやりすごした。
そして最終コーナー、オグリキャップがダイナカーペンターを交わして先頭に立つと、スーパークリークもその直後を追走して直線へと向く。ハイペースが祟って脚が上がったオグリキャップが後退するところ、それを交わしてスーパークリークが先頭に躍り出るが、後方から徐々に位置を押し上げていたイナリワンが一気の伸び脚で急襲。粘るスーパークリーク×武豊か、追うイナリワン×柴田政人か。写真判定に持ち込まれた結果、ハナ差でイナリワンが「二強」の後塵を拝した秋シーズンの悔しさを払拭。復権を遂げたのだ。走破タイムの2分31秒7は、コースレコードを一気に1秒1も更新する凄まじい有馬記念であった。
この年、GⅠレースで3勝を挙げたのはイナリワンのみとなり、JRA賞年度代表馬を受賞。移籍1年目にして中央競馬のトップへと上り詰めたのだった。
翌春は、天皇賞(春)がスーパークリークの2着、オサイチジョージが勝った宝塚記念が4着に敗れた(オグリキャップは2着)。その後、秋シーズンに向けて始動したところで右前肢の球節に故障を発症。回復に向けて治療が進められたものの、ついに復帰はかなわず、引退・種牡馬入りした。
イナリワンの活躍によって、父のミルジョージは地方競馬にとどまらず、中央へ入厩する産駒が年々増加。前出のオサイチジョージをはじめ、エイシンサニー(オークス)、リンデンリリー(エリザベス女王杯)などの活躍馬を出して、1989年には長く頂点に立ち続けていたノーザンテーストから全国リーディングサイアー(中央と地方の合算)の座を奪ったことも印象深い。
種牡馬を引退したのち、一時的に預けられていた個人牧場への取材でイナリワンを訪ねたことがある。迎えてくれた場主が放牧場に向かって「イナリワーン!」と呼びかけるとトコトコ歩み寄り、与えられた牧草をのんびりと食む姿は、現役時代に見せた気性の激しさとあまりにギャップが大きく、ついつい微笑んでしまった。その後、イナリワンは北海道占冠村の牧場で2016年2月7日に老衰のため死んだ。32歳の大往生だった。
文●三好達彦
【動画】地方出身馬が春の盾を制覇した伝説レース
【名馬列伝】26年前、地方から中央を制したメイセイオペラ “岩手の英雄”がもたらした日本競馬史上唯一の快挙
良馬場ながら、そぼ降る雨のなか煌々とライトが照らされた暮れの中山競馬場、有馬記念(GⅠ)。単枠指定となったオグリキャップとスーパークリークは、前者がオッズ1.8倍の1番人気、後者がオッズ3.1倍の2番人気に推され、大敗後のイナリワンはオッズ16.7倍の4番人気に甘んじた。
レースはかなりのハイペースで進んだ。ダイナカーペンターが逃げるところ、オグリキャップとスーパークリークは2~3番手を積極的に追走。お互いに「先は譲れない」とばかりに我を張り合った先行策をとったためペースが緩むところがなく、1000mの通過は推定で59秒台の前半に。イナリワンは前半戦を後方12番手付近で急流をやりすごした。
そして最終コーナー、オグリキャップがダイナカーペンターを交わして先頭に立つと、スーパークリークもその直後を追走して直線へと向く。ハイペースが祟って脚が上がったオグリキャップが後退するところ、それを交わしてスーパークリークが先頭に躍り出るが、後方から徐々に位置を押し上げていたイナリワンが一気の伸び脚で急襲。粘るスーパークリーク×武豊か、追うイナリワン×柴田政人か。写真判定に持ち込まれた結果、ハナ差でイナリワンが「二強」の後塵を拝した秋シーズンの悔しさを払拭。復権を遂げたのだ。走破タイムの2分31秒7は、コースレコードを一気に1秒1も更新する凄まじい有馬記念であった。
この年、GⅠレースで3勝を挙げたのはイナリワンのみとなり、JRA賞年度代表馬を受賞。移籍1年目にして中央競馬のトップへと上り詰めたのだった。
翌春は、天皇賞(春)がスーパークリークの2着、オサイチジョージが勝った宝塚記念が4着に敗れた(オグリキャップは2着)。その後、秋シーズンに向けて始動したところで右前肢の球節に故障を発症。回復に向けて治療が進められたものの、ついに復帰はかなわず、引退・種牡馬入りした。
イナリワンの活躍によって、父のミルジョージは地方競馬にとどまらず、中央へ入厩する産駒が年々増加。前出のオサイチジョージをはじめ、エイシンサニー(オークス)、リンデンリリー(エリザベス女王杯)などの活躍馬を出して、1989年には長く頂点に立ち続けていたノーザンテーストから全国リーディングサイアー(中央と地方の合算)の座を奪ったことも印象深い。
種牡馬を引退したのち、一時的に預けられていた個人牧場への取材でイナリワンを訪ねたことがある。迎えてくれた場主が放牧場に向かって「イナリワーン!」と呼びかけるとトコトコ歩み寄り、与えられた牧草をのんびりと食む姿は、現役時代に見せた気性の激しさとあまりにギャップが大きく、ついつい微笑んでしまった。その後、イナリワンは北海道占冠村の牧場で2016年2月7日に老衰のため死んだ。32歳の大往生だった。
文●三好達彦
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