――そして国見中に進学したわけですね。
「国見ではキックの練習メニューに取り入れていました。高校生らと2人組でひたすら蹴るという。一方で今度はドリブルでしたね。俺はドリブルが好きで、背が小さかったから相手を抜く方法を考えていました」
――性格は当時から負けず嫌い?
「変わらないですね(笑)。負けるのが本当に嫌い。小学生の時から退場していました。相手と揉めるわけじゃなくて、キーパーが出てきて、どっちが先にボールに触るかという場面で俺は突っ込む。それでキーパーと交錯して警告を受けたり。
でもマネしろというわけじゃないけど、そういう場面で行くか行かないかはFWとして大事で、点を取ればヒーローなわけです。行かなきゃチャンスは生まれない。だから自分の子どもには、相手に怪我をさせちゃダメだけど、勇気をもって突っ込んでいけと、アドバイスしています。やっぱりそういうところも、まずは体験してみる。そして自分に必要かどうかを考えることですよ」
――嘉人さんは中、高で身体の小ささに悩んだことは?
「身体は本当に小さくて。中学に入った時も身長は132センチだったかな。細くて小さくて……でも、嫌だなと思ったことはなかったですね。さっきも話した通り小学生の時から相手とのぶつかり方は考えていたので。
あ、でも、一度だけ、高校に入った時に壁を感じたかな。やっぱり中学生と高校生では体格が違うんですよ。それで1年生の時にAチームに呼ばれて試合に出た時に、吹っ飛ばされて。小嶺(忠敏)先生からは『それだけ負けるなら使えないぞ』と言われて、そこからはずっとBチーム。次、吹っ飛ばされたところを先生に見られたら、もう終わりだという危機感があったから、必死に考えましたね。その時はなんだか怖かったです」
――その苦境をどうやって切り抜けたんですか?
「とりあえず、高校生の先輩たちにぶつかられないようにしました。動き出しを早くしたり、ドリブルのコースを工夫したり。どうしてもぶつかる時は、どう体勢を取るか考えました」
――当時、身体作りに力を入れようとは思わなかった?
「器具を使った筋トレは身体が重くなってスピードが落ちる可能性があると聞いていたので、そこまでやらなかったですね。スピードが落ちたら俺は何もやれなくなっちゃうから。腕立てなどは少しやりましたよ。でも一杯やると嫌になっちゃう(笑)。俺は筋肉が付きやすかったですし、自分の身体は自然に出来上がった感覚ですね。ただ人は人ですから。筋トレが合う人もいるし、やっぱり大事なのは長所を磨くことですよ」
――中、高の時は食事もそこまで気にせず?
「中学は下宿で、高校は寮でしたが、出していただいた料理はしっかり食べていました。今思えば、メニューはサッカーをやっていた僕らに合ったものだったと思いますね。それに寮ではしっかり食べないと試合に出してもらえなかったので、量も食べられるようになりました」
――では勝負飯はありますか?
「まったくないです(笑)。プロになってからは試合の前の日にラーメンを食べたりしていましたからね(笑)。でも不思議で、そういう試合で2点取れたりするんですよ。食事を含めてルーティンを作りたくなくて。もし決めたことを忘れると不安で仕方なくなっちゃうから」
――それはまた嘉人さんらしいというか(笑)。
「神経質になりたくなかった。チームメイトは気にする選手が多かったけど、俺には俺のやり方が合っていんたんでしょうね」
――奥様に試合前にこうしてほしいとか、頼まれることもなく。
「そうですね、奥さんはフードマイスターの資格を持っていて、バランスの良い食事を出してくれていました。でも昔はそれに気付かずに、自分の気分で食べたいものだけを食べることがあったんです。その時は怒られましたね。『ちゃんと考えて作っているから食べなさい』と(苦笑)。当時はそこまで気付けなくて(苦笑)。でも主夫をして改めてご飯を作る大変さを知りました」
「国見ではキックの練習メニューに取り入れていました。高校生らと2人組でひたすら蹴るという。一方で今度はドリブルでしたね。俺はドリブルが好きで、背が小さかったから相手を抜く方法を考えていました」
――性格は当時から負けず嫌い?
「変わらないですね(笑)。負けるのが本当に嫌い。小学生の時から退場していました。相手と揉めるわけじゃなくて、キーパーが出てきて、どっちが先にボールに触るかという場面で俺は突っ込む。それでキーパーと交錯して警告を受けたり。
でもマネしろというわけじゃないけど、そういう場面で行くか行かないかはFWとして大事で、点を取ればヒーローなわけです。行かなきゃチャンスは生まれない。だから自分の子どもには、相手に怪我をさせちゃダメだけど、勇気をもって突っ込んでいけと、アドバイスしています。やっぱりそういうところも、まずは体験してみる。そして自分に必要かどうかを考えることですよ」
――嘉人さんは中、高で身体の小ささに悩んだことは?
「身体は本当に小さくて。中学に入った時も身長は132センチだったかな。細くて小さくて……でも、嫌だなと思ったことはなかったですね。さっきも話した通り小学生の時から相手とのぶつかり方は考えていたので。
あ、でも、一度だけ、高校に入った時に壁を感じたかな。やっぱり中学生と高校生では体格が違うんですよ。それで1年生の時にAチームに呼ばれて試合に出た時に、吹っ飛ばされて。小嶺(忠敏)先生からは『それだけ負けるなら使えないぞ』と言われて、そこからはずっとBチーム。次、吹っ飛ばされたところを先生に見られたら、もう終わりだという危機感があったから、必死に考えましたね。その時はなんだか怖かったです」
――その苦境をどうやって切り抜けたんですか?
「とりあえず、高校生の先輩たちにぶつかられないようにしました。動き出しを早くしたり、ドリブルのコースを工夫したり。どうしてもぶつかる時は、どう体勢を取るか考えました」
――当時、身体作りに力を入れようとは思わなかった?
「器具を使った筋トレは身体が重くなってスピードが落ちる可能性があると聞いていたので、そこまでやらなかったですね。スピードが落ちたら俺は何もやれなくなっちゃうから。腕立てなどは少しやりましたよ。でも一杯やると嫌になっちゃう(笑)。俺は筋肉が付きやすかったですし、自分の身体は自然に出来上がった感覚ですね。ただ人は人ですから。筋トレが合う人もいるし、やっぱり大事なのは長所を磨くことですよ」
――中、高の時は食事もそこまで気にせず?
「中学は下宿で、高校は寮でしたが、出していただいた料理はしっかり食べていました。今思えば、メニューはサッカーをやっていた僕らに合ったものだったと思いますね。それに寮ではしっかり食べないと試合に出してもらえなかったので、量も食べられるようになりました」
――では勝負飯はありますか?
「まったくないです(笑)。プロになってからは試合の前の日にラーメンを食べたりしていましたからね(笑)。でも不思議で、そういう試合で2点取れたりするんですよ。食事を含めてルーティンを作りたくなくて。もし決めたことを忘れると不安で仕方なくなっちゃうから」
――それはまた嘉人さんらしいというか(笑)。
「神経質になりたくなかった。チームメイトは気にする選手が多かったけど、俺には俺のやり方が合っていんたんでしょうね」
――奥様に試合前にこうしてほしいとか、頼まれることもなく。
「そうですね、奥さんはフードマイスターの資格を持っていて、バランスの良い食事を出してくれていました。でも昔はそれに気付かずに、自分の気分で食べたいものだけを食べることがあったんです。その時は怒られましたね。『ちゃんと考えて作っているから食べなさい』と(苦笑)。当時はそこまで気付けなくて(苦笑)。でも主夫をして改めてご飯を作る大変さを知りました」