しかし、好事魔多し。放牧休養を経てトレーニング・センターに戻ったグラスワンダーは調教で跛行する様子が見られ、最初の検査では異常が見当たらなかったものの、のちに再検査をした際に右後肢の骨折が判明。軽症ではあったが、春シーズンは全休することになり、療養のための長期休養に入った。
怪我も癒えて、2歳チャンピオンが戦列に復帰したのは1998年10月の毎日王冠(GⅡ、東京・芝1800m)だった。そう、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーの3強が揃った“伝説”の毎日王冠である。
レース前に注目が集まったのは、騎手の的場均が”お手馬”であるエルコンドルパサーとグラスワンダー、どちらに乗るのかという点だった。結果、悩んだ末にグラスワンダーを選んだことから、単勝人気はエルコンドルパサーを抑えて2番人気となった。
レースは大逃げがお約束となっていたサイレンススズカのワンサイドゲームとなった。エルコンドルパサーが必死に追うが、2馬身半差まで迫るのが精一杯だった。
そしてグラスワンダーはというと、終いの伸びが見られず、エルコンドルパサーからさらに6馬身ほど離された5着に終わり、初の敗戦を喫した。<前編・了>
※後編に続く
文●三好達彦
【名馬列伝】「牝馬の時代」の先駆けとなったエアグルーヴ。97年天皇賞・秋を制して全馬のトップへ駆け上がる!<後編>
【名馬列伝】代替種牡馬から生まれた稀代の優駿キタサンブラック。鍛え抜かれたタフさでG1レース7勝の王者に<前編>
【名馬列伝】「長い距離は持たない」と言われたキタサンブラックが見せつけた意地と底力<後編>
怪我も癒えて、2歳チャンピオンが戦列に復帰したのは1998年10月の毎日王冠(GⅡ、東京・芝1800m)だった。そう、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーの3強が揃った“伝説”の毎日王冠である。
レース前に注目が集まったのは、騎手の的場均が”お手馬”であるエルコンドルパサーとグラスワンダー、どちらに乗るのかという点だった。結果、悩んだ末にグラスワンダーを選んだことから、単勝人気はエルコンドルパサーを抑えて2番人気となった。
レースは大逃げがお約束となっていたサイレンススズカのワンサイドゲームとなった。エルコンドルパサーが必死に追うが、2馬身半差まで迫るのが精一杯だった。
そしてグラスワンダーはというと、終いの伸びが見られず、エルコンドルパサーからさらに6馬身ほど離された5着に終わり、初の敗戦を喫した。<前編・了>
※後編に続く
文●三好達彦
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