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【名馬列伝】M・デムーロを史上初の外国人ダービー騎手に導いたネオユニヴァース。短期騎手免許に特例処置設けたJRAの“粋な”英断

三好達彦

2023.03.03

 約1か月半後、重馬場となった日本ダービーでは、ここに合わせて短期免許を取り直したデムーロが続けてネオユニヴァースにまたがり、大胆にして完璧なレースを見せた。

 先行策をとる有力馬が多いなか、後方の13~15番手で脚をためたネオユニヴァースは3コーナー過ぎからインを通って進出を開始。馬場状態を考慮してインコースを避け、外へと大きく広がりながら馬群は直線へと向いた。

 タフなコンディションに多くの馬が伸びあぐねるが、馬場の中央からじわじわと脚を伸ばしたのがネオユニヴァース。坂上で先頭に躍り出ると、追いすがるゼンノロブロイ、ザッツザプレンティという新興勢力を抑え込んでトップでゴールを駆け抜けた。もちろん、デムーロにとって外国人騎手初の日本ダービー制覇という快挙となった。

 レース後、デムーロは沸きに沸くスタンドの観客の拍手と歓声に感激し、当時彼の母国イタリアのセリエAで活躍していた中田英寿の名を例に挙げ、「まるでナカタになったような気がしました」というコメントを残している。
 
 その後、宝塚記念(GⅠ)で4着、神戸新聞杯(GⅡ)を福永の騎乗で3着としたネオユニヴァースに、一つの問題が持ち上がる。それは「1か月単位で1年に3回まで」と決められていた外国人に対する短期免許の交付期間をデムーロがすでに使い切っていたため、ネオユニヴァースの三冠がかかる菊花賞(GⅠ)に騎乗できないという問題である。

 これに対して、オーナーサイドはもちろん、多くのファンからも、どうにかデムーロを乗せられないのかという声で競馬界は揺れに揺れた。結果、JRAは「同一馬に騎乗して同一年にJRAのGⅠを2勝以上した場合、その年のGⅠレースで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGⅠレース当日のみ免許を発行する」という特例措置を設けて、デムーロの騎乗を可能にする”粋な”対応をとった。

 残念ながら、ネオユニヴァースは菊花賞で3着に敗れて三冠馬にはなれなかったが、二冠を制した馬が、特例措置を作ることによって施行者を動かしたという意味で歴史的な意義を持つ一戦となったのである。

 ネオユニヴァースは2004年の春に、当時はまだGⅡだった大阪杯で勝ち重賞5勝目を挙げたものの、次走の天皇賞(春)で10着後に右前肢に屈腱炎を発症して引退。種牡馬としては前述のように大成功を収め、ピーク時には250頭を超える種付け頭数を誇った。

 そして、東日本大震災が日本を襲った直後の2011年3月26日(現地時間)、ネオユニヴァースの仔であるヴィクトワールピサが、当時の世界最高賞金(1着600万ドル=約4億8000万円)ドバイワールドカップ(GⅠ)を制覇。悲しみに沈む日本に、ほのかに明るいニュースをもたらした。そのとき、彼の鞍上にいたのはミルコ・デムーロだった。

文●三好達彦

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